車輪に足乗せ
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寿命

自分の寿命を設定できるとしたら何歳にしたい? ブログネタ:自分の寿命を設定できるとしたら何歳にしたい? 参加中

寿命が設定できるなら何歳まで生きるように設定するかということですが、このような問いは甚だナンセンスかと思います。

だってさ、そんなの答は決まってる。

僕は死にたくないので
永遠に生きたいです。


ダラダラと

ダラダラと

いつまでもいつまでも。


愛する者たちと

いつまでも、いつまでも

生きていきたいです。



青い空はさ、どこまでもどこまでも青く、途切れることを知りません。

僕達はその空の下を
どこまでも、どこまでも

進んでいきたい

ポップス卒業

私、○○から卒業します!! ブログネタ:私、○○から卒業します!! 参加中

最近考えたこと
感じたこと
それは、いやゆる司馬史観からの脱却。
これをやりたい
やりたいっつーか、たぶんもうそうなりかけてる
そうならざるを得ないぜ

司馬遼太郎の世界観ってのはさ
やっぱ現代の社会通念とか倫理とか常識とかってものの上に乗っかってんだ
その上に、人物達を載せて物語とかを展開させてくんだ

こんな、人間がいるんだぜ
こんな、痛快なヤツが
こんな、どうしょうもないのが
こんな、豪放磊落な人間が
こんなにも素晴らしい人の歩みがあるんだぜ
ってことを司馬は言ってんだ

こんな、風土が昔あって
こんな、倫理感が席巻してて
こんな、多様なポエジーが
昔はこんな、世の中だったんだぜ
ってのをずっと言ってんだ

だがな、ちょっと違うんじゃねえかと思うんだよ
司馬遼太郎は、おもしろいよ
スゲーおもしろい。

でも、違うんだ

なんでかっつったら司馬遼太郎は、僕達に近すぎる存在でポップ・スターだってことだ

昔、下北沢屋根裏でライブやった時、楽屋で他のバンドと一緒に居た時、なんかなれなれしいヤツがその日僕が持ってた司馬の本を見て

「司馬遼太郎とか読んでんの!?シビー!」

とかっつってたけど
「いや、渋くないですよ。ポップスですよ」

って僕は答えた

当時から知ってたんだ
司馬がポップスだっつーのは。

だが最近はホントに芯からそう思うようになってきた。
司馬はポップだって。
飲み込まれるべきものじゃないポップスだって。

ポップスのなにがいけないって、俺と近いってことなんだよ
わかりやすく言うとさ、理解出来るってことなんだよ
司馬がさ、教えてくれるだろ
いろんなことを。
それが理解できるんだよ

理解できるよな。
だけどさ、その理解ってそもそもなんなの?
ほんとは僕は、なんにもなわかんねえだろ?

なんだってそうだぜ
歌だってさ、ポップ・ミュージックっつーのは、理解できるんだよ
その内容の構成要素が自分の中にもあるからさ

だから理解できるんだよ
だがそれは理解した気になってるだけなんだ
そーだろ?
なにがわかるっつーんだ
なんにもわかんねえだろ?
ちょっと考えればわかるんだ。
ホントは何も理解してないって。
それを理解したようなフリして
自分の骨肉としたようなフリして
なんでもかんでもわかったようなツラして生きてしまうんだ
それがポップスの弊害だぜ

僕はそう思う。
僕は自分の為にそう思う。


司馬に代表されるポップ・スター。

僕はポップ・スターが大好きだし、これからもたぶん好きだが、それを真に受けてわかったような気になってたんじゃなにも生まれないってことに気がついたんだ。

司馬遼太郎を、そのポップの象徴としてんだが

今、僕が敢えて司馬を評すと
司馬遼太郎は、その全てにおいて間違ってると断言するぜ

卒業だ