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one thousand and one nights

気づいたら終わってた恋愛について、感傷にひたるための自分用ブログ。

というと、某\ニッポンポン!/のあの人がでてきますね。あのキャラはS君も好きでしたね。

タイトルは久々に聞いたらやっぱり好きだった曲の歌詞より。
正直私はこの曲ほど彼を美化してないので共感はあんまりできませんが、なんとなく聞いてて思い出しました。



どうしても排他主義というか選民的というか、プライドが高いせいで不器用にもほどがある人だったけど、
一度自分の懐にいれてしまうと、とにかく優しいんですよね。手を離すその直前まで。
敵を作ることがバカみたいに上手くて、もうちょっとマイルドに柔らかく言えばいいのに、もしくは自分から衝突しにいかなきゃいいのになあとつねづね思っていました。

今でも様子見にいくときあるけど、どうやらそれは変わらないままみたい。
私はとってもひとの影響を受けやすいので、仲良くしてもらってたときはすごく楽しかったけれど、
やっぱりあの頃はすこしキツくなってたんだろうなあ。

私はもともと、瞬間的に思いついて言ったことで人の心を抉ってたタイプでした。
だから、これでもけっこう、あまり仲良くないけどちょっと鋭い感じの人には怖いって思われたりもしてたんですよね。
失言するごとにひとりで反省会やってなんども繰り返して自分を訓練してきたので、最近ではあまりそういうことも無くなりましたが、今でもやっぱり、油断するとやってしまいます。


まあ、だから、そういう要素も私は元々もっていて、だから似たような人といっしょにいるとそういうものがすごく顕著にでてきちゃいます。彼のせいで~とか言いたいんじゃなくて、客観的に自分を見つめたときに、結局そういう結論になっちゃうんですね。
彼に何かあると心配して不安でどうしようもなくて、いっしょに話してると考えかたも似てきちゃうから、思考を支配されてしまう。心配だけど、それでも自己防衛はしておかないと、なんて焦ってた時もあったなあ。
まあ、なんにせよ遅かれ早かれ限界はきてたって話ですよ。


だんだん接点が少なくなってきて、
というか私が彼との共通のものに対して疲れてきて、
どんどんあの人の世界が大きくなってきて、
もともと凄い人だったから、きっかけさえあればすぐ人気者になるだろうなあと
それについてはすごく納得でしたが、なんだかとても寂しくて。
そのときから仲良かった人とは、もう半分くらいつながりが絶たれているようですが、それでも、今でもつながりのある人がちょっと羨ましいです。



なんとなくブログ書きたい気分だったから唐突に記事が途切れるよ!
自分のことではないけれど、とても嬉しいことがありました。
彼女には幸せになってもらいたいものです。


昨日は母がレシピを載せてもらってる新聞の、料理写真の撮影日でした。
6時間で10品つくったよ。

そういえばS君は調理師の資格もってたなあとなんとなく思い出してました。
試験うければいいだけだから簡単だよーなんて言ってたけど、でもやっぱり資格もってるってすごいよなあ。
いっつも美味しそうなものばかり食べていたから、一度でいいから彼の料理を食べてみたいなんて思ってたあの日々である。
作業効率>味>>>見た目っていう私より、見た目もかなり重視するあの人のほうが絶対女子力たかいよね

納豆に卵ってのは彼と知り合って初めて知ったことでした。
つい最近、彼のことを思いだしながら初めて食べてみたけれど、やっぱり美味しかったです。
「うずらの卵がちょうどいいよ、たまに有精卵まざっててヒヨコみたいなの出てくるけど」なんて言われてちょうびびったっけ。懐かしい


言った本人すらも忘れてるような些細なことでも逐一思い出せるから、なんかもうね。
そろそろ後れ毛がでないで結える長さ(天パなので普通のひとより量が必要)になるので、これを期に髪伸ばしてみようかな。
まえはなんとなく意識しちゃってできなかったS君の好きな髪型、そこそこ髪の量があった頃はけっこうやってたんだよね。楽だし。

なつせんそうの、さかえおばあちゃんの遺言のこの最初の一言がすごくすきです。
昨日は見苦しいことをした気がする。起きて2時間くらいしたけど目がしょぼしょぼしてるよ



歌はいいね、というのは某最後の使徒の言葉ですが、本編で彼がその理由をいうことはありません。
歌が、音楽が良いものなのなんて当たり前です。彼がそう言うことで意味をなしているのは、孤独な少年に、自分で自分を否定しようとしている少年に、肯定の言葉を与えたという事実でしょう。
ではなぜそれが歌であったか。それは作品そのもののキーワードであり、少年が聞き続けていたものであり、少年に手をのばした彼そのものの象徴であったに他なりません。まさに歌うように、彼は芝居がかった台詞をいいつづけたのですから。



……とまあ、ろくすっぽ検証もしてない、いい加減な言葉あそびはここまでにして。

歌っていいなあと私が思うことのひとつに、どんな言葉をのせても、そのクサさや独特の癖が、ある程度緩和されるという所があります。
歌詞カードを見なければ、それは音として耳に入ってくるから、大事な部分や特徴的な箇所だけ抜き取られてしまうんですよね。

そういった作業はいまでも行われているものの、歌詞を読んでしまう音楽ファンが増えた現在、ストーリー性の付加や詩的な文体など、今まで聞き手のなかでセルフで行われてきた作業を、歌という原型のなかで成さなければならなくなってしまったように思います。
いわば解釈の固定化。表現する人によって、私たちは解釈を制限されている。

まあ解釈することが必ずしも良いことではありませんけどね。
私は個人的には歌詞を読むのが好きですし、やはりそれに惹かれて好きになる曲も多々ありますが、やはり音楽科の学生として向き合った際に、歌詞は否定せざるをえません。文学系の学科だったらまた違うのでしょうけれども。

楽譜や歌詞を読んだところで音楽そのものはわからない、そこで鳴っている音がすべてだ、というのは私の先生の言です。

だからこそ、すこし恥ずかしいような言葉でも歌にしてしまえばそうでもなくなるんですよね。



だから、まあ、なんというか、

こんな盛大な前置きのあと私が何を言いたいかというと、

なんか歌って色々発散したいです。
ようするにカラオケにいきたいです。

だって実家にいるとすることなさすぎてイヤでも考えちゃうんだよ!!
あほか私!!!
あほだよ私!!!!
そうだよだって好きなんだもん!多分まだ!!
本人に言えないまま気づいたころには終わってたとか不完全燃焼きわまりないんだよ!!!!!!!!
未だに引きずってる自分が恥ずかしくて悔しくて情けなくて惨めなんだよ!!!!ばーかばーか!!!!!!!!!!


怒ってるときに怒ってる演技が難しいように、自分がなんらかの感情のときにそれを作品として表現してしまうと、だいたいは失敗します。
だからなんというか、逆をいえば、何かしらの形にして消化できれば、少しはこのモヤモヤが解決できるのではないかなあと思った次第です。幸い私にはたくさんの表現ツールがありますしね。




ところでこの記事携帯で打ってるんですがけっこうな長さになってないか