日本人てすごい 9 在野の歴史家 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

今回は、あの歴史の古い中国に比べて、日本はどうも中国よりも歴史を持った国であるという一見逆説的な話しです。

大分前に読んだ書き物で、どなたかが「在野」という概念は日本独特なものだと述べていました。「在野の政治家」とか「在野の歴史家」といった人達です。例えば戦前の中国ではビジネスで成功した者はほとんどの人が政界に乗り出していたとか。日本ではそんなことが今でも、伝統的にも、余りないようです。また、西郷隆盛や勝海舟など明治には著名な在野の政治家がいた。

歴史の世界も同じようです。明治大正初期の山路愛山は在野の歴史家として、常に旧帝大系の御用歴史家とは一線を画しながら、次々と重要な史観を提示していた。

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外国ではどうやら正史と言うものがあるようで、時の権力者が公認した者だけが歴史を書いて来たようです。しかし、日本ではそうでなかった。慈円の『愚管抄』も、北畠親房の『神皇正統記』も、頼山陽の『日本外史』も、上で述べた山路愛山の一連の歴史書も、時の権力者に無関係な在野の人達が歴史を書いてきました。

もちろん正史には時の権力者の都合の悪いことは書きません。だから正史が書かれる度に、それ以前の歴史は書き変えられてしまう。だから正史の世界には歴史が残らないのです。国がどんなに古くても歴史のない国になってしまう。

最近私はアメリカのジャーナリストのラルフ・タウンゼントが
1933年に書いた、その当時の中国に関する本 『暗黒大陸中国の真実』(芙蓉書房)を読んで驚いたのですが、中国には昔から営々と残された壮大な寺院などの建築物がほとんどない。それらは朽ちるに任せられている。そのことに関して日本とは大違いのようです。

私は子供の時から、法隆寺が世界で一番古い木造建築だと教わって、何かしっくりしないものがあったのです。お隣の中国は日本よりずっと古い歴史のある国じゃないか。なのに、何で日本のお寺の方が古いんだって。でも、
タウンゼントのこの本を読んで合点したのです。日本には古い歴史が残っているが、中国には歴史がないんだって。

現在でも、お隣の中国も韓国も自分たちの正史を書き連ね、彼等の過去の歴史と縁を切ることに躍起になっているように見えます。歴史を持っている国だけが、過去の経験から学んで未来を予測し、これからやって来る不測の出来事に対する準備を適切に出来る国なのですよね。私たち日本人が「在野」を大切にする文化をもっていることは、民族として大変好運なことなのですね。