クラシックの感想を書きつらねてみる

クラシックの感想を書きつらねてみる

クラシック初心者ですが、思ったとおり正直に書きます。

そりゃちょっと違うんじゃないかと思った方は、お気軽にコメント下さい。

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大変ご無沙汰しております。えっと、けっしてこのブログのことを忘れてたわけじゃないんだけど、まぁ、ほぼ忘れてたわけですけど、ときどき気にしてました。
そろそろ再開しよっかなぁ、とは思っていて、けど、いきなり1年半前と同じスタイルで書き始めるのはなかなか骨の折れることです。
で、以下の記事は、僕がよそで書いた日記で、これ自体かれこれ10ヶ月くらい前のシロモノですが、とりあえずこの記事を再開のきっかけにしよっかなぁ、なんて思っています。
では、かならず近いうちに。


僕が細々と音楽の感想を書いてたブログは、かれこれ半年前、この曲について書く手前でストップしちゃってます。
この曲のせいではなくて、ちょうどその頃から仕事が忙しくなって、ドシッと構えて音楽を聴く時間も精神的な余裕もなくなってきたからです。
けど、この半年の間、この曲はずいぶん何度も聴きました。感想が書けなかったために解きかけの宿題のように引っかかりを感じていたという側面もありますが、この曲自体がとても魅力的で、聴き飽きるということがないからです。
ブラームスはわりとクセの強い作曲家なので、どの作品も簡単にすみずみまで楽しむというわけにはいきませんが、特に室内楽の分野、とりわけ3曲が残された弦楽四重奏曲については、ブラームス好きの間でもなかなか複雑な評価がなされています。
まぁ、平たく言えば、暗くて重いのです。暗くて重いなかで言うと、とても暗くて重いのです。
3曲のなかではこの第2番が最も親しみやすい旋律と変化に富んだ展開を持つと僕は思いますが、それにしたって、全体に明るい印象はなく、どちらかというとシリアスです。
それでも、室内楽にしては相当長い演奏時間にもかかわらず、この曲についつい最後まで耳を傾けてしまうのは、その細密な構成のせいばかりではありません。
内的な世界に深刻に向き合いながらも、そこかしこでツルリと現れる甘美な表現には何度聴いてもグラリとしてしまうのです。
会議中、真剣な表情で発言している女性にふとした拍子に色気を感じちゃうみたいな? ・・・ まるっきりセクハラえろオヤジですね・・・
ハイ!そのとおりです!私がただいまご紹介に預かりましたセクハラえろオヤジです!
・・・えっと、そろそろブログ再開しよっかなぁ、いや、ほんとに

長い歳月をかけて完成したとされますが、僕にはこの作品に固有の魅力を見出すことができません。ブラームスらしさはそこかしこで感じられますが、この作品でなければ得られない感動といったものが見つけられないのです。


第1楽章はシリアスな第1主題がいくつかの副次主題を生みつつ大変切迫した様子ですので、メロディアスな第2主題のゆったりとした雰囲気が際立ちます。展開部は第1主題を扱い、対位法が用いられ緊張感を高めますが、僕にはさほど個性的には感じられません。コーダも第1主題から派生したものですが、その表情は明るくはないものののびやかに変化します。


第2楽章は複合三部形式のロマンツェです。カノン風の旋律を中心としますが、なかなか輪郭がはっきりと捉えられません。そのうちに迫ってくるような寂しげな動機が現れます。中間部はアリアのような叙情的な旋律がやや明るい表情で歌われます。主部の再現では主要主題がより明瞭に現れます。


第3楽章はスケルツォのようです。主部は下降音型の幾何学的な動機を中心に妖しい雰囲気を感じさせます。主部の中間部は三連符のゆるやかなリズムでメランコリックな様子です。トリオはこの作品の中で唯一の典雅な舞曲となります。華やかというには翳りがつきまといます。


第4楽章は再びシリアスです。悲痛な叫びのような冒頭動機から哀しみが疾駆するように進みます。やや明るさを感じる経過句を経て優しい第2主題が現れますが、コデッタは厳しい表情で決然としています。展開部のように見える部分では第1主題を扱いますが、寄せては返すように穏やかさと鋭い緊張を行き来し、第1主題の副次主題に至り、コデッタから展開部らしき部分までが再現され、コーダは激しい舞曲のように昂まっていきます。


音源はアルバン・ベルク弦楽四重奏団です。

ブラームス最後の管弦楽作品は二重協奏曲のコンセプトですが、その独奏楽器とオーケストラの扱いはさすがに巧みです。主題の扱いも独創的に示されますが、主題そのものの旋律に胸を震わされるかというと、僕にとってはそうでもなかったりします。加えて僕が首をかしげるのは、それまでしつこいほどに念入りだったブラームスのコーダがこの作品では主題の展開によって示され、独自の存在感を持たないことです。そうした表現へのこだわりとは異なる境地に至っていたということでしょうか。


第1楽章ではオーケストラにより第1主題が悲痛な響きで短く示されてすぐに独奏チェロがカデンツァ風に現れます。続いて木管が穏やかな第2主題を短く示すと独奏ヴァイオリンが現れますが、すぐに独奏チェロとの二重奏となります。2つの独奏楽器がオクターヴで下降上昇を繰り返し、オーケストラによる主題提示を導きます。第1主題は哀しみをはらみつつ決然とした様子を見せます。経過句で気分を変え第2主題は朗らかな雰囲気をもちますが、第1主題の雰囲気へと戻り独奏楽器による主題の再現へと続きます。二重奏で進む第1主題は荒野をさすらうサムライ風のストイックさを感じます。三連符で進む独特の経過句が静かに穏やかに転じて独奏チェロがやわらかに第2主題を歌います。独奏ヴァイオリンが加わると冒頭でカデンツァからオーケストラへと繋がる二重奏の展開が途中まで再現されますが、下降上昇の音型は空を旋回するように続き、オーケストラを伴い再び第2主題へと向かいます。オーケストラがほぼ原形通りに第2主題を再現します。二重奏が第1主題を奏でるところからを展開部と解釈します。しばらく二重奏が表情たっぷりに第1主題を扱いますが、木管がやわらかな響きで寄り添うと表情を穏やかに変えて第2主題手前の動機を展開します。弦部も加わり多声的に盛り上がり弦楽合奏が頂点を作ります。二重奏が瞑想的に続き再び昂揚し、再現部へと至ります。コーダは第1主題を素材として二重奏が主導し勇ましい様子で展開します。


第2楽章は終始穏やかな緩徐楽章です。独奏楽器の二重奏を中心とする主部の旋律は極めて簡素な音型を基にしたとても平穏な様子です。弦部が深い呼吸をするようにこれを支えます。中間部は息の長い旋律で詠唱風に続いていきます。こういうのは演奏の呼吸が合わないと恐ろしく恥ずかしいことになっちゃいそうですね。独奏ヴァイオリンと独奏チェロが呼び合う部分では、チェロの旋律に低弦がピツィカートでアクセントを加えますが、これが狙う効果が僕には今ひとつ理解できません。主部の再現は冒頭とあまり様子を変えることなく進み静かに終わります。


第3楽章は民族音楽的な主題を中心としたロンド風のソナタです。独奏チェロで軽妙に示される第1主題は独奏ヴァイオリンで繰り返されしばらく推移しオーケストラで強奏されます。喜ばしい第2主題は独奏チェロの重音で示され、同じく重音の独奏ヴァイオリンに引き継がれ、第1主題が再現されます。小休止を経て情感に満ちた旋律が強く現れますが、これは第1主題から派生した副次主題と思われます。第1主題に基づく展開部がそぞろ歩くように続いたあとこの副次主題が再び現れ、再現部へ向かいます。第2主題に基づく喜ばしい雰囲気で二重奏を中心に推移してオーケストラが第1主題を明るく示し力強く閉じられます。


音源はクレーメル、マイスキーとバーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。

堂々の協奏曲らしい協奏曲です。ヴァイオリンの扱いも上手ですね。ブラームスらしい交響的協奏曲の様子も見事です。ブラームスの4つの協奏曲のなかで最もバランスが取れているのはこの曲だと思います。ただ、僕の魂は揺さぶられないのです。それはとても個人的なことです。


第1楽章はオーケストラによる雄大な第1主題の提示から始まります。ゆったりと始まり、オーボエが切ない雰囲気で示し、トゥッティで気持ちを移し、冒頭動機による全開モードに突入です。再び寂しい雰囲気に推移し美しい経過句が現れます。さらなる展開を期待させる神秘的な推移の後、突然ブラームス特有の緊迫した動機が弦部に現れ、そのまま力強いコデッタへと突入します。独奏ヴァイオリンはこの切迫した雰囲気を引き継ぎ、劇的に現れます。独奏ヴァイオリンはみずからこの雰囲気を時間をかけて変化させ悠々と第1主題を歌い始めます。冒頭から重音を多用し情感はとどまることがありません。さきほどぎりぎりのところで姿を見せずに終わった第2主題が低減のピツィカートの豊かな響きの上で独奏ヴァイオリンによって現れます。優美にして切なく儚い無上の旋律です。その余韻にしばらく酔いしれてから、激しいコデッタが独奏ヴァイオリンによって再現されます。これが歌い上げられたところから展開部です。トゥッティで第1主題が哀しく再現された後、第2主題は提示部と同様の雰囲気でよりドラマチックに歌い上げられます。ここから独奏ヴァイオリンが切ない雰囲気を引き継いで悲劇的な旋律を奏でます。その旋律を用いた対位法的なオーケストラが場を盛り上げます。つづいて独奏ヴァイオリンがここを見せ場と広い音域を行き来して情熱的に昂まります。再現部はそのまま第1主題をオーケストラのトゥッティが引き継ぐところから始まり、独奏ヴァイオリンは素直に旋律を再現していきます。ブラームスの協奏曲の提示部はややこしく手が込んでいるので再現部が最も旋律を追いやすいのです。情熱的に拡大されたコデッタを経てカデンツァに突入するのですが、今回参照している音源で演奏されている初演者ヨアヒムのカデンツァは曲の大意をよく把握しています。コーダは第1主題をゆったりと回想したあと、テンポを速めますがおおらかに結ばれます。


第2楽章はオーボエによるのどかな緩徐楽章です。この構想はピアノ協奏曲第2番第3楽章へと引き継がれるものですが、ここではもう少し控えめな試みに留まります。オーボエが主題のすべてを露わにした後、独奏ヴァイオリンはわりと素直にその旋律を引き継ぎます。不意に沈み込む中間部は冒頭主題の変奏です。ここでの主役は完全に独奏ヴァイオリンで、切なくすすり泣き、オーケストラはこれに寄り添い場を盛り上げます。主部への回帰はオーボエが導きますが、独奏ヴァイオリンが主役を譲りません。


第3楽章は情熱的なロンドです。当時のブラームスのイケイケ度を示すかのように、彼の楽曲にしては珍しく頭をからっぽにしてその楽しさに身を任せることのできる音楽です。無論ブラームスが頭をからっぽにして音楽を作るはずはないので、独奏ヴァイオリンはそれなりに大変な目に合うのですが、ヴァイオリンをさわったこともない僕には関係ないことです。リズム面でも巧妙ですが、それを感じさせないのが脂が乗ってるときの芸術家らしいところです。独奏ヴァイオリンを中心に大きく盛り上がって堂々と終わります。


音源はムターとカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団です。

ピアノ協奏曲第1番から20年以上を経て発表されたこの作品は前作とはまるで趣きが異なります。練りに練られた熟練の書法もさることながら、4つの楽章それぞれの曲想自体に年輪を感じさせられます。さらに着目すべきはピアノのとんでもない難しさです。アクロバティックであるだけでなく豊かな表現力が求められます。演奏するにはとんでもなく頑張らなきゃいけないのでしょうが、それに見合うほどピアノが主役なわけでもなかったりします。いろんな意味で老練です。


第1楽章はホルンの穏やかな旋律から始まります。ピアノがこれに応え、木管が旋律を引き継ぎます。ピアノがただならぬ緊迫した雰囲気をつくりますがやがて喜ばしい様子に転じ、オーケストラによって冒頭のホルンの旋律に基づく第1主題を堂々と歌います。力強い演奏は長く続かず静かに中性的な経過句を経て切ない第2主題が弦楽器により情緒たっぷりに示されます。ブラームス独特のロマンチックな旋律です。ふと場面が緊迫すると歯切れの良いリズムでコデッタが展開されます。第1主題の旋律を短調に転じた雄壮な小結尾となります。続いてピアノが現れ提示部を再現します。この時点で第1主題は細かく分解され念入りに展開されますので展開部の様相ですが、展開部は別に用意されています。ここでは新たな素材に基づく展開も行われます。第2主題とコデッタはそのままの形でピアノが再現しますが、コデッタは拡大され、切迫した雰囲気をオーケストラが引き継ぎます。展開部です。暗い情熱を帯びたまま2つの主題が奏でられ一旦静まると冒頭のホルンが寂しく現れ、以降の展開がそっくりそのまま正反対の雰囲気で再現されますが、ピアノ独奏の場面でピアノが明るく転じます。この後ピアノが主導して進んでいくのですが、ピアノはおどけた様子なのに対し、控えめに伴奏を入れるオーケストラは寂しい雰囲気を保持しています。この雰囲気は展開部の終わりを告げるオーケストラの強奏を経てもしつこく続き、ピアノが浮遊感のある細かいアルペジオを奏でて落ち着かない気持ちを増大させます。これがやりたかったがために通常の展開部らしい展開を前に持ってきたわけですね。面白いといえば面白いですが、気持ち悪いことこの上ないです。ホルンが本来の雰囲気で現れると再現部なのですが、またしてもピアノ独奏の場面でピアノが再現を拒み、神秘的な雰囲気の旋律を奏で、展開部の前に行われた第1主題の展開で示された素材の再現を始めます。コデッタまでが再現されたあと第1主題を展開した長いコーダにより最後は堂々と終わります。


第2楽章はスケルツォ風の複合三部形式です。主部の第1主題はセレナード第1番第2楽章のスケルツォ主題とよく似た情熱的なものです。第2主題は切なく寂しい叙情的な旋律です。この2つの主題の展開に幾何学的な印象を持つのは精巧なピアノパートのつくりのためでしょうか。決然と昂揚したところで不意に中間部に入ります。中間部の旋律は主部の2つの主題に基づくものと思われます。信号音的な管楽器の響きとピアノで示される機械的な音型から無機的な印象を持ちます。主部に戻るとより情熱的に昂まります。


第3楽章はチェロが優しく穏やかな旋律を奏でる緩徐楽章です。弦部の奏でる旋律も美しく、木管も伴いながら悠々と進みます。ひとしきり歌い終わるところで初めてピアノが登場し、そのまま主題の変奏を始めます。こちらは情感たっぷりです。次第に曲調が沈み込んでいき暗く激しく展開していきます。これが静まるとテンポを落とし、クラリネットの奏でる息の長い旋律にピアノが静かに絡みます。瞑想的な中間部です。クラリネットの旋律は弦部に引き継がれしばらくたゆたうように推移します。チェロが冒頭の旋律を再現し主部に戻ります。ここではピアノも登場しますが、あくまでチェロの伴奏です。ピアノはこの美しい旋律を一度も完全な形では歌いません。


第4楽章はロンドソナタ形式です。可憐なロンド主題が示されると、しばらくこれを素材に楽しく遊ぶように展開します。木管が奏でるメランコリックな副次主題が現れると少し気分が変わり、さらに展開が続き、ピアノが新たな副次主題を晴れやかに示します。いずれもロンド主題から派生したものです。これら主題に基づき展開部と再現部を兼ねて進んでいきます。楽しい曲想ですが、ふと立ち止まり考え込む様子を見せるところが実にブラームスらしいですね。終盤のピアノは縦横無尽でジャズピアノのようです。


音源はネルソン・フレイレとシャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団です。

僕が世の中で最も思いを寄せる音楽作品のひとつです。欠点はあります。冗長と呼ぶかどうかは別としてあまりにも長いです。管弦楽もやぼったいです。それでも、この作品はそれらを補ってあまりある、成熟していないがゆえのむき出しの魅力に溢れています。


第1楽章はティンパニのロールとともに荒々しく始まります。激しく切迫した様子の第1主題はひとしきり姿を現すと一旦静まり、形を変えて切なげに歌われます。憂い懊悩するように推移し激しく場を畳むと冒頭の展開が再現されます。再び静まったところでピアノが登場します。先ほどの切ない旋律を変奏するのですが、その様子はなんともロマンチックで、僕はこの場面を耳にするたび腰から崩れ落ちそうになります。オーケストラによる提示どおりに激しく展開したあと、再度切ない旋律が原形に近い形でピアノで再現されます。管楽器が加わり雰囲気を穏やかに変遷させたところでようやく第2主題がピアノで示されます。ここまで僕の参照している音源で6分。優しく歌うような旋律は木管、続いて弦部に引き継がれ、ゆったりとのどかに歌われ、やがて静まります。ピアノが目を覚ますように高音から駆け下りてくると展開部が始まります。展開部は第1主題を扱うドラマチックなものです。後半ピツィカートの上で軽やかにステップを踏むようにピアノが踊ります。これが激しく昂まると迫力の強奏で場面が切り替わり再現部となります。第1主題の激しい部分はここで初めてピアノで奏されます。第2主題の最後でピアノがアルペジオの雰囲気を変えると激しいコーダに至ります。力強く緊迫した展開にはカデンツァは入り込む隙がなく荒々しく曲を閉じます。


第2楽章は緩やかに下降する音型による祈りをイメージさせる旋律を主題とする穏やかな緩徐楽章です。次第につぶやくような瞑想的な様相となります。ピアノが高音で奏でるパッセージが浮遊感を漂わせ、ここから曲調は沈み込んでいきます。弦が決定的に切ない動機を示すと、しばらく寂しく移ろいますが、やがて冒頭の主題が回帰します。穏やかな主題は空間的な広がりを見せるようにのびやかです。ピアノが再び幻想的なフレーズを奏でますが、今度は沈み込まずカデンツァ風の立体的なトリルが現れ、穏やかなまま静かに終わります。


第3楽章は先を急ぐような活発なロンド主題を中心に展開するロンドソナタ形式です。ブラームスは交響曲でロンドによる曲を書きませんでしたが、ブラームスがこの手法を得意としていたであろうことは容易に想像できます。曲を通じてエネルギッシュで若きブラームスの情熱が感じられるようです。副次主題はいずれもロンド主題と似通っています。展開部では副次主題によってフガートが展開されます。再現部を経てカデンツァが演奏されたあと曲調は大らかに明るく転じ、ピアノのトリルに導かれて喜ばしく昂揚し、二度目のカデンツァのあと堂々の完結を迎えます。


最後の音源はネルソン・フレイレとシャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団です。

悲劇的序曲というタイトルにも関わらず僕にはこの曲にあまり悲劇的要素を見出すことができません。時代による感覚のギャップということもあるのでしょうが、「悲劇的」という言葉にはブラームス晩年のあの境地に近い意味合いはそもそもないのかもしれません。かといって荒ぶる感情の発露もまた僕には感じられません。バランスのよい優れた管弦楽作品です。


トゥッティで示される2つの和音からすぐに第1主題が開始されます。テンポよく開始されすぐに力強く昂揚します。これが「悲劇的」主題だと思われます。ひとしきり展開すると、そのままの曲調でいわゆる経過句に推移し、さざ波のような弦部の上をトロンボーンが中性的な声を響かせます。弦部の響きが穏やかに変化すると優しくあたたかい第2主題が現れますが、すぐに第1主題と同様の雰囲気を持つコデッタに移行します。歯切れよく力強いコデッタに続き第1主題が再現され、こだまのように響いているとリズムが変わり展開部に相当する部分に入ります。2分の2拍子から4分の4拍子に変わりますので単純にハーフ・テンポ(これって大衆音楽用語かなぁ)になるのですが、モルト・ピウ・モデラートという分かりにくい指定を伴います。このパートでのリズムの扱いはとても芸が細かく、孤独な旋律の歩みの雰囲気を巧みに伝えます。独特のリズムと切り離されると経過句から始まる再現部となるのですが、ここでは提示部で曲調を伝えていた弦部の伴奏はありません。第2主題とコデッタが再現され、第1主題の素材によりさらに昂まった後しばらく瞑想し決然と結ばれます。


音源はベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。

なかなか興味深い作品ではありますが、作曲の目的と曲の構成の意図がきわめて特定的なので、ドイツの文化になじみのない僕たちがぼーっと聴いて楽しめる種類の音楽ではありません。そういう意味では僕には今でもこの曲本来の楽しさが分かっているわけではありませんが、曲の構成を大まかに把握するとそれなりに楽しい曲として耳にすることはできます。この曲と対になる悲劇的序曲とはあらゆる意味で性格が異なるのです。


最初に行進曲風の旋律がハ短調で現れます。勇壮というのとは違うのですが、肩で風切って歩いていくようなイメージです。詠唱風の旋律が挟まれますが、元の行進曲へと戻り強まります。これが静まって経過句的に進んだあと、最初の学生歌「我らは立派な校舎を建てた」が金管によりゆったりと歌われます。この曲は4つの学生歌を扱います。学生歌は静かに始まりますが次第に強まり、一区切り堂々と歌い上げると同時に行進曲の旋律が喜ばしく力強く戻ってきます。この行進曲主題がひとしきりその姿を明らかにした後、二番目の学生歌「祖国の父」が弦によってのびやかに歌われ、木管へと引き継がれます。弦と木管は続いて三番目の学生歌「新入生の歌」の姿をおぼろげに示し、ファゴットが軽快にその全貌を示します。この歌はオーケストラに引き継がれて展開します。ここから切れ目なく行進曲主題に基づく展開が始まりますので、この曲をソナタ形式と見た場合の提示部と展開部の境目ははっきりしません。この展開部は非常に勇壮です。盛大に盛り上がったところで最初の学生歌が再現されます。すでに再現部に入っているわけです。この曲はとにかく境目がないのです。二番目の学生歌も再現されます。再現部ではそれぞれの学生歌が規模を拡大して歌われます。三番目の学生歌がリズムに乗って堂々と歌われ昂揚の頂点に達する直前で、初めて登場する四番目の学生歌「いざ楽しまん」が昂揚の頂点を横からかっさらっていきます。いつの間にかコーダに突入しています。初めて姿を見せる旋律とは思えない存在感でもって壮大に昂揚を謳歌し、堂々と終結します。


音源はハンス・フォンク指揮オランダ放送交響楽団です。

個人的にはすべてのバランスにおいてブラームスの管弦楽作品の頂点に君臨する作品だと位置付けています。ブラームスが目を付けた主題がハイドン自身の手によるものであったかどうかなど、あまり重要な話題ではありません。緩急、明暗のバランスもさることながら、開始から終止に至るまでの1音たりとも無駄のない展開とそのストーリー性に思いを至らせれば、彼がどんなに古典派のテーマと手法を重んじようと、ブラームスはやはり19世紀最先端の作曲家であったのだと再認識せざるを得ません。


主題は低弦のピツィカートの上で木管が親しみやすい旋律を奏でます。後半にこの旋律から推移する少しだけ寂しげな旋律が現れます。元の旋律に戻ると金管が加わり力を増します。

第1変奏はこだまのような伴奏の上をヴァイオリンがアウフタクトで始まる流れるような旋律を奏でるものです。喜ばしい雰囲気です。

第2変奏は激しく変ロ短調で演奏されます。主旋律はヴァイオリンが足早に奏でますが、木管が跳ねるようなリズムで不思議な感じのする旋律を奏でます。

第3変奏はのびやかに歌います。木管が中心となりますが、ホルンの響きが牧歌的な雰囲気を高めます。平和な様子です。

第4変奏はとても寂しい旋律が現れます。弦と木管がかわるがわるゆったりとした主旋律を取り、もう一方は下降音型を繰り返す旋律を奏でます。

第5変奏は歯切れの良いリズムの愉快な変奏です。強弱のアクセントが特徴的な舞曲風で、ふっと終わります。

第6変奏も楽しげですが、こちらは行進曲風です。途中から昂揚し曲全体の前半の山場を形成します。

第7変奏はのどかな舞曲調です。その旋律は明るいものなのに、なぜだか泣き出したくなるほど切なく感じられます。個人的にはこの作品の白眉はここです。

第8変奏はブラームスらしいとても活発に動く弦と木管の競演です。暗くざわめきたつ生命力にあふれています。

最終変奏はパッサカリアですのでそれ自体が変奏曲の形を取ります。荘重なパッサカリア主題の提示のあとおごそかに次第に力強く進行し、続いてのびやかに曲調を変化させます。色合いを微妙に昏く変化させ次第に昂揚したあと、喜ばしく主題が回帰し力を増し最高潮へと至ります。一旦静まり、これぞ!というエンディングを迎えます。


音源はベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。

セレナード第1番が金管、ティンパニを含む管弦楽編成であったのに対し、この作品は木管とヴァイオリンを欠く弦楽合奏のみで演奏されますので、より聴衆と距離の近い感じがします。全編温和な雰囲気で親しみがこもっているようです。社交的なブラームスというのも、なんだか気持ちが悪いですが、この作品が気持ち悪いわけでは無論ありません。


第1楽章は穏やかで清らかな曲です。第1主題は素朴で優しい動機と下降音型を主体とした神秘的な動機の2つを主要な要素としています。第2主題はピツィカートの上を揺らぐような旋律で歌うものです。提示部では主旋律は一貫して木管が奏で、弦部は伴奏のみ行います。展開部では第1主題を弦部が豊かに広げていき、切ないまでのロマンチックな旋律が奏でられます。オーボエが呼びかけるように息の長いフレーズを奏でて再現部に向かいます。情緒たっぷりです。コーダは夕暮れ時のやわらかな日差しを思わせます。


第2楽章はスケルツォです。活発なスケルツォ主部は木管と弦部が次々と旋律を引き継いでいく楽しいつくりです。トリオはややゆったりと落ち着いていますが、ごく短く切り上げられます。


第3楽章は低弦のうねるような旋律の上で木管が主旋律を奏でます。暗くはないのですが重たくはあります。中間部では低弦が鳴りやみ木管合奏となり幻想的な雰囲気に包まれます。


第4楽章はメヌエットです。穏やかですが彩り豊かでユーモラスな様子です。中間部は細かな弦の反復の上で寂しげな旋律が奏でられますが、これもどこかしらおどけた様子が感じられます。低弦とオーボエが会話するようです。


第5楽章はロンドですがソナタ形式に近いまとまりをもちます。ロンド主題は明快で微笑ましい旋律による快活なものです。他の主題も含め実に旋律的で、かわるがわる常に主旋律がはっきりと歌っている楽しい合奏の様子です。分かりやすさも含めブラームスらしからぬ親しみやすさです。


音源はマズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団です。