津布田八幡宮の話で、埴の加工や梱包の話をしましたけど、それを一括して輸送していたのは、ここ、山陽小野田市の旧小野田市で、竜王山の麓にある「赤嵜神社」と思っています^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅

ここには大きな古墳もあり、太古神代の神様が祭ってあるからです^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅

鐵斎の気ままな見聞旅

鐵斎の気ままな見聞旅

鐵斎の気ままな見聞旅

鐵斎の気ままな見聞旅

鐵斎の気ままな見聞旅


長い参道を抜けると本殿があります^^)


この参道は海側から山側の本殿に向かって作られているので、海からの参拝が多かったと思います^^)

お参りしてきました^^)↓

鐵斎の気ままな見聞旅


由来が書かれていますけど、「御神祭は大己貴大神 少彦名大神で、太古神代に大己貴大神、少彦名大神は九州より大和国に帰り給う途中に、西須恵字赤崎の浦に船を止め上陸なされた。この時漁業、塩業、農業の術をさずけ深めなさった 後略」と書かれています^^)


鐵斎の気ままな見聞旅

先にお話ししたように、埴=赤間石は赤いので、埴を取り扱ったというか、埴に関係がある場所に「赤」という地名が付いていると思っています^^)


ここ、赤嵜が埴の輸送の拠点なら、大己貴大神と少彦名大神が、たくさんある港=浦の中で、ここに船を止められた理由があると思います^^)


御由来にも書いてありますけど、九州や大和の国の航路としてあるので、京都府や九州の中間市に埴を輸送したことが、関連付けられます^^)


では、富山県はどうか?ですけど、長門市に赤崎神社があって、日本海側の輸送の拠点だったかも知れないですね^^)


話はそれましたけど、山陽小野田市の赤嵜神社です^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅

埴だけでなく、たくさんの品々を一括して輸送していたと考えられますけど、一番大事なのは「埴」だったから「赤」だったと思います^^)


では「埴」はいわゆる「焼き物」で、それに関連した場所があるので、次回はそれに迫りたいと思いますニコニコ