「今日の日記」


今日は三日前。

今日は積もっていた雪が、午後にはほとんど溶けているほど暖かかった。
でも天気予報で明日は寒くなると言っていた。


今日は一昨日。

今日は朝から雪が降っていた。
夜まで止まなかったから、部屋が少し寒かった。
でも、ぼくの心はもっと寒い。


今日は昨日。

今日も雪が降り続いてる。
だから部屋の中はすごく寒い。
でもぼくの心はすごくすごく寒い。


今日。

今日は何も書くことが無い。



なぜ過去の日記だけしか書かないのかって?



それは、ぼくには今日も明日もわからないからだよ。



死者にあるのは過去だけだから。

「冬とさくら」の番外編です。


冬の目線から見たある日のお話です。




「雨の朝」


最近雨が多い。
今朝も雨。
こういう朝は嫌いじゃないけど、時々すごく不安になる。
今朝もそう。
急に自分が世界に独りぼっちになった気持ちになってくる。
薄暗い部屋、雨の音以外の音はほとんど無い。
それらはゆっくりと世界の大きさと、自分の独りぼっちさを、私の心に染み込ませてゆく。
寂しい。
今部屋のドアを開ければ、そこには暗闇が延々と広がっているような気すらしてくる。
本当は全てが暗闇で、その中にこの部屋だけがぽつんと浮かんでいるんじゃないか、そんな気が。
一人は嫌。
そう思って目を瞑る。
体を縮ませる。
両手で肩を抱く。
こんな朝にかぎって、さくらはまだ起きない。
毛布の下で、さくらの腕にすがるように抱きつく。
不安という強風に飛ばされないように、必死にしがみつくように。

「なんで私より早く起きなかったのよ!」

私はイライラしながら朝食のサンドイッチを噛った。

「すみません」
「今朝私がどれだけ大変だったか分かる!?」

寂しかったのに、すごく恐かったのに、なんで起きててくれなかったのか。
そう思えば思うほど、腹が立って仕方なかった。
悲しみにも似た冷たさを、さくらに牙にして向けた。

「で、今日はどこか行くの?」

とりあえず今日は休日、ずっと一緒にいてくれるんだと思うと、許してもいいとかなと、私は半ば思った。

「すみません、今日は阿部教授の特別講義なので。あ、でも午後には帰ります」

私の心を冷たいものが押し寄せてきた。
それは裏切られたような悲しみと、一緒にいられないという不安。
それを押し返そうとするかのように、私はさくらに叫んだ。

「もういい!さっさと講義でもなんでも行きなさいよ!!」
「今日はお断わりの電話を入れて休みましょうか?」
「いい!!」

もう感情が入り乱れて、それを必死に押さえるように、さくらを急かして、怒りながら玄関のドアを開け、強引にさくらを部屋の外に出した。
イライラしながら居間に戻る。
食べかけのサンドイッチを手に取り、ふと前を見た。
さくらが座っていた席に、さくらはいない。
空の席を見つめながらサンドイッチを食べていると、だんだんイライラが引いていって、だんだん冷静になってきた。
いつもこう。
寂しくて、もっとそばにいてほしくて、相手が少しでも離れてしまうと、焦ってしまう。
行かないで、一人にしないで。
そんな思いが、引きとめようと焦らせる。
必死にさせようとする。
でも、焦れば焦るほど、必死になればなるほど、どんどん遠ざかってしまう。
それでどんどん焦ってきて、イライラしてきて、ついさっきのようなことをしてしまう。
遠ざけてしまう。
それが悔しくて、悲しくてしかたない。

寂しい。
部屋の中で一人ぽつんとテーブルに座っていると、さっきまで必死に押し込めていた冷たさが、一気に押し寄せてくる。
寂しさが、孤独さが、波のように押し寄せてきて息もできないほど。

「なんで・・・」

涙が頬を伝った。

「なんで・・・いつもこうなの・・・」

涙は拭っても拭っても、こぼれ落ちる。

悔しくて、悲しくて、寂しくてしかたない。
今はまるで、世界から切り離されたかのようだ。
寒くて、暗くて、もう独りぼっちで、耐えられないような孤独感に襲われている。
肩を両手で抱き、うずくまった。
怖い。
独りぼっちが怖い。

その時、後ろから覆いかぶさるように、抱きしめられた。
驚いて振り向くと、さくらだった。
「な、なんで」
そう言って私はイスから立ち上がった。

「ど、どうし」

そう言いかけた私を、さくらは黙って抱きしめた。

「すみません」

さくらはただそう言った。

「さ、さみし、かったん、だか、ら」

私はさくらの服をぎゅっと握った。

「ひ、ひとりで、さみしくて、さみしくて、・・・」

私は泣きそうになりながら、必死で言葉を搾り出した。

「さみしくて、い、いってほしくなくて、い、いっしょ、に、いてほしく、て」

涙声になるのを抑えられなかった。

「それで、それで・・・」

さくらは抱く手をぎゅっと強めた。

「これからは、できるかぎり一緒にいます。冬さん、本当にすみませんでした」

何か言おうとしたのに、声は出なかった。
変わりに大粒の涙が溢れた。
私はさくらにしがみついて、ただ泣いた。
自分の中の冷えきった心を少しでも暖めたくて、この寂しさという寒さから少しでも逃れたくて、そしてさくらという暖かさに包まれたくて、私は縮こまって、体を必死に小さくして、さくらにしがみついて泣いた。
泣き止んでも、しばらくしがみついていた。
ようやく落ち着いて、私は掴んでいた服を放してさくらの顔を見た。

「ははっ、ごめんね。私こんなことで泣いちゃって。今朝ちょっと不安な気持ちだったの。だから」
「いいえ、こんなことではありません」
「え?」
「寂しい、側にいてほしい、その気持ちは、とっても大きくて、辛いことです。そんな時に、気付いてあげられなくて、すみません」

私は、その言葉がうれしくて、さくらにすっと体を傾けた。

「これからも、ずっと側にいてくれる?」
「えぇ。可能なかぎり」

私はむっとした顔でさくらを見た。
でもそれは、怒ってるわけじゃなく、単にいたずらっぽくだった。

「こういう時は、嘘でも絶対に一人にしないとか言うものよ」
「すみません」
「まぁいいわ。それより」

私はやさしく笑って、さくらの背中に手をまわして言った。

「もう少し」

私がその手にぎゅっと力を込めると、さくらはにこりと微笑んで、私をぎゅっと抱きかえした。
私は安心感と幸福感に包まれながら、目を瞑ってさくらの服に顔を埋めた。
この先、同じようなことがあっても、きっとなんとかなる。
そう思えた。
これが信じるってことなのかな。
やっぱり少し違う気がする。
でも、これはこれで、私にはとってもかけがえのない、予感。
この予感を抱きながら、安心と幸福と雨音に包まれながら、私はさくらに抱かれていた。
さっきまで不安と寂しさに満ちていた雨音は、今は安心とやすらぎの音に変わっていた。

短編、というよりショートショートという気持ちで書きましたが、案外長くなってしまいました。


大変暗い内容になってしまったので、あまり暗い気分になりたくない方はお読みにならないほうがいいと思います。


ですので一応自己責任でお読みください。




「笑顔への手紙」



「彩子へ

泣けば心が軽くなる。

たまっていた暗闇が、背負っていた苦しみが、涙と一緒に流れていく。

でも、もしそれがたまりすぎていたら?

答えは分かってる。

秘めていた暗闇があふれだして、止まらなくなる。

ずっと怖かった。

涙が止まらなくなったら、自分が、全てが壊れてしまう気がして。

だからずっとがまんしてた。

リストカットをしたり、もっと可愛そうな人が世の中にはたくさんいるから、自分は幸せな方だと思ったりした。

でも、もうだめ。

心が苦しくて、頭が変になりそうで、体がバラバラになりそうで仕方ない。

さっきからリストカットも何度もやっているのに、血が止まらないのに、心が全然軽くならない。

そして、涙が流れ始めた。

だめ、今泣いたら止まらなくなる。

そう分かっていても、涙は次々と頬を伝っていく。

止まれ止まれ止まれ・・・

そう心の中で叫んでも、涙はいっこうに止まらない。

私が持っていた果物ナイフは、手から滑り落ちた。

私は崩れるように膝をついた。

右手からはだらだらと血が流れ続けている。

涙は止まることなく流れ続けている。

私は心の中で決めた。

泣こう、もうどうなったっていい。

私の心を、全て涙に変えるくらい泣こう。

そう決めたことが、心のダムを一気に壊したかのように、感情と涙を溢れさせた。

涙が大粒になり、どんどん目から溢れた。

最初は低く、うぅぅと泣いていた。

でも次第に、うああぁ、という声になり、そして声も出せないほどに、感情と涙が溢れた。

目を見開いて、ただただ涙を流し続けた。

私はもう、ただ必死で泣くしかなくなっていた。

まるで感情の豪雨の中にいるかのようで、私はただただ泣くので精一杯だった。

声を出せないほどに、泣くのに夢中だった。

感情がどんどん溢れてくるのが分かった。

でも、確実に心が軽くなってきているのも分かった。

かつてないほどの安堵感が増していく。

泣くことが快感にすらなっていた。

私はもう、自分がどうなるか完全に分からない。

でも私はもう、泣きやむことができないし、
泣きやみたくない。

この手紙を彩子が見ている頃には、私は私じゃなくなっているかもしれないけど、それでもいい。

今私は、一番しあわせだから。

今までで一番し」



手紙はそこで終わっていた。

私は手紙をポケットにしまい、顔を上げた。
ここは病院の個室。
私の座っている見舞い客用のイスの横には、ベッドが置かれている。
なぜこんなことになるまで気が付いてあげられなかったんだろう。
高校生になって学校が別々になってからは、連絡を取っていなかった。

私はベッドを見た。

そこには右手に包帯が巻かれた優希の姿があった。

優希の顔は笑っていた。

まるでこの世で一番幸福であるかのように、幸せそうな笑顔で。

「ごめんね、優希」

私は半分涙声になりながら優希の手を握ったが、優希はただ天井を見つめて笑っていた。

「もうすぐ面会終了時間です」

看護婦の事務的な声がドアの向こうから聞こえてきた。
私は優希の手をゆっくりとはなし、ドアを開けかけて振り返って言った。

「また、会えるよね」

ドアを閉める音がした後も、優希は幸せそうな笑顔のまま、天井を見ているのだろう。

そう、これからもずっと。