ある日、御書院番頭立花左近将監奥州棚倉三万石の屋敷の門前に、
むさ苦しい浪人が座り込み、
「ご門前を借りて切腹いたしたい。ついては介錯をお願いしたいのでお取次を。」
と言い出した。
門前を血で汚されるの厭う大名家から幾ばくかの銭をゆすり取る、
近頃、流行りの切腹詐欺である。
「では、取り次ぎます故、暫時お待ち下さい。取り次ぐまでの間、
どうぞ門内でお待ち下さい。」
「お気づかいなく、ここにて待ち申す。」
先ごろ、夜叉掃門こと井伊直孝の屋敷で、切腹詐欺の武士を屋敷内に誘い込み、
かねて用意の竹光で無理やり切腹させたという噂を知っているのか浪人は、
梃子でも動かなかった。
「いかがいたします。門内にでも放り込みますか。」
古びた虚無僧の衣装を取り出してきた、
十時摂津を見て宗茂は苦笑した。
「まあ、待て。我が家を選ぶとは奇特な仁もいるものだ。会って見るか。」
門前に座り込む浪人の前に据えた床几に腰掛けると宗茂は言った。
「切腹されるとのこと。見上げたご覚悟だが、首はどちらに届ければ宜しいかな。」
静かな物言いだが、西国無双の威圧感に押されたのか浪人は無言になった。
「父母に届ければ、貴殿の親不幸を告げなければならぬ。
貴殿の妻子に届ければ、去り状もなく、
寡婦や孤児となった妻子が泣くであろうな。
独り身であれば、骸も首も門前に打ち捨て犬の餌にするしかないが、いかがかな?」
「恐れ入りましてござりまする。」
そう言うと浪人は、病の妻子を抱え、貧に迫られたあげく、
幾ばくの銭を得るために切腹の一件を思い立ったと白状した。
「左様か、摂津聞いたな。」
宗茂は片膝をついて控えていた十時摂津に声をかけると立ち上がった。
「すぐに仕る。」
そう言うと十時摂津は浪人と話し始めた。
立花左近将監が、ご門前にて切腹いたしたいと騒ぎ立てた切腹詐欺の犬侍を、
召抱えたという噂を聞きこんだ御書院番を務める三河依頼の旗本の一人が、
まさか左様なことはござらんな。
犬侍を雇い入れるなどお家の恥ではと詰問した。
「恥とは、父母に孝養を尽くさんとした侍を召抱えたことですかな。」
「理由はどうあれ、出来もせぬ切腹をすると騒ぐ武士など武士の風上におけぬのでは。」
「当家にて、武士の風上におけぬとは、国法を破り、節義に欠け、
表裏比興の振る舞いに及ぶ者のこと。
貧に迫られ恥を忍んで手を尽くす者を武士の風上におけぬとは申さん。」
「し、しかし、嘘偽りを申す侍を召し抱えるなど慮外千万では。」
「武士の嘘を武略と申す。かの者の武略、いささか欠けておりますが、
当家には義父道雪以来、他家にて、ひけ者、臆病者、腰抜けと言われたものは、
我が家を訪うべし。いずれも万夫不当の勇士になさんという家訓がござる。
それ故、召抱えたのでござる。」
召抱えた経緯が経緯だけに、子孫のことを慮って某としか伝えられていないが、
かの侍、大阪夏の陣にては、
大樹公ご本陣潰乱の際に立花勢の先鋒として大阪方を蹴散らし、
遥か後年に起こりし島原の乱にては、
十時摂津老と共に忠茂公の元にて戦いしとのこと。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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