渡辺 教忠(わたなべ のりさだ、生没年不詳)は、戦国時代の伊予国の武将。南伊予河後森城主。西園寺十五将の1人。
ー 生涯 -
土佐一条氏当主・一条房家の孫。東小路教行(一条教行)の子。土居清良と共に幼少期を送った。一条兼定の伊予国進出の布石として、西園寺氏の重臣である渡辺政忠の養嗣子となる。西園寺十五将の筆頭として1万6500石を領した。
一条氏が南伊予に侵攻した際に戦意をみせなかったため、永禄10年(1567年)逆に西園寺公広に攻められ、入質を差し出し降伏した。一条氏の土佐国追放後は長宗我部氏に敢闘し、河後森の若城主と呼ばれ評判になるが、度重なる戦乱により家臣の分裂を生み、長宗我部氏に寝返った芝一覚によって月見の夜に城を追われた。下野したのちは、百姓として余生を送ったという。
以上、Wikiより。