安田 長秀(やすだ ながひで)は、戦国時代の武将。上杉氏の家臣。桓武平氏大掾氏流城氏の末裔とされ、北越後の一族・揚北衆の一つ。北蒲原郡白河庄の安田城主。
ー 生涯 -
安田氏は越後守護上杉氏や守護代長尾氏に反発的な揚北衆の中では珍しく、早くから長尾氏の臣下となり、長秀自身は長尾晴景に対するクーデターに長尾景虎(後の上杉謙信)擁立派として参加するなど、謙信の側近として仕えた。特に第四次川中島の戦いにおいては、同じ揚北衆の色部勝長・中条藤資らと共に謙信から「血染めの感状」を賜った[2]とされる。また、謙信の死後に起きた御館の乱では上杉景勝を支持したとされる。
なお、通説では天正10年(1582年)に死去したとされているが、『安田氏系譜』では長秀が弘治2年(1556年)に死去しており、感状を受けたのは長秀の子の安田有重であるとしている。
ー 人物・逸話 -
弘治元年(1555年)に上杉謙信(当時は長尾景虎)が北条氏康と戦うために関東に出兵した際、長尾政景が春日山城の留守居役となった。政景が景虎に留守のことを相談する書状を送ったところ、景虎は「安田長秀を使いとしてやったから、詳細は安治(長秀)に聞け」と返書した。
以上、Wikiより。