今やどの川が溢れて洪水になっても、おかしくない状況にななっている。
いずれの政党も防衛問題になると熱心に語るのだが、今もっと重大なのは、日本国内で治山治水対策だと思う。特に問題なのは、河川の治水がおろそかにされていることだ。一級河川も二級河川も今やどの川が溢れて洪水になっても、おかしくない状況にななっている。.
河川を等級に分けて考えるのはなぜか分からないが、多分、国と市町村の責任を分担するためだと思うが、これが無責任にしている原因になっているのだろう。天気予報では、まるで他人ごとのように洪水に注意するよう伝えている気象庁に、治水対策の責任はない。
●洪水の被害はやられたものにしか分からない。戦争とは、また違った悲だ。
しかし、いざという時になると、国民の被害は甚大だ。これは洪水になってみると痛いほどわかる。それも予知できないほど大きく、ひどい。それも被害者から見ると、堤防が一部決壊したといった単純な理由からで、一帯が水であふれ、住民の生活がめちゃくちゃにされてしまうのだ。
この被害はやられたものにしか分からない。戦争とは、また違った悲劇なのだ。日本で戦争はまず起きないが、洪水はどこかで年中発生している。それなのに、政治t的には放置されている。昔は道路や川の橋などを〚自分が工事をさせた』と宣伝した議員がいたものだが、今はいない。土木工事はが集まらないと無視されいるのだ。
●水害は政府や行政に責任があるということを住民たが強く認識し、抗議せよ。
ところが気象変動によって、降水量が変わ水中豪雨なども増えてきて、治山治水の状況も変わってきている。河川や山の安全対策も当然変えなければならないのだ。それなのに、水害ににあっても治山治水対策に問題があると思わなくなってしまった。
こういうのは、亡国の兆しだと思う。水害は起きてはならないことで、政府や行政に責任があるということを住民たちが強く認識し、抗議することを忘れてはならい。このままでは、まさに『国破れて山河あり』となってしまう。