No.086 
2022年3月17日(木) 
綴り人:けいご
 
 
「誰も信じられない」
 
この記事は、
そのように感じている方・そう思う時がある方
のために書いています。
 
かく言う僕もその一人です。
 
 
 
 
 
「誰も信じられない」
 
 
 
そう感じてしまうことが
度々あります。
 
 
 
元々僕は、
誰かを信じることも疑うこともしない
性格です。
 
"どっちでもいい"
の姿勢を保つために
人と一定の距離を保つようにしていました。
 
人と協力したり刺激し合うことを避け
出来るだけ一人になれるように
生きてきました。
 
 
 
そんな僕も最近では
"人と協力すること"が増えています。
 
単に
「人と何かをする」
というだけの協力ではありません。
 
"能動的な協力"です。
 
 
 
自分から
目的を持って
仲間と共に
 
 
 
そんな"能動的な協力"をするようになったのは
ここ半年~1年くらいのことです。
 
 
 
能動的な協力に
欠かせないものの一つが
"信頼"です。
 
信頼する仲間だからこそ
能動的な協力が生まれると
僕は思っています。
 
 
 
ところが僕は
こう感じることが度々あります。
 
 
 
 
 
「誰も信じられない」
 
 
 
 
 
協力し合う仲間であっても
いつも一緒にいてくれる人であっても
大切にしたいと思う人であっても
 
信じられないと感じてしまう。
 
孤独感に苛まれ
やることなすことが間違いに感じられ
「誰にも必要とされていない」
思ってしまう。
 
 
 
そういう時は決まって
何をやっても上手くいきません。
 
 
 
自分の行動・発言が
誰かを傷つけている気がして
踏みとどめてしまいます。
 
悪い方、悪い方に想像が膨らみ、
何も手につかなくなります。
 
現実逃避から
暴飲暴食や寝過ぎ or 寝不足
になることもしばしば......。
 
 
 
 
 
「誰も信じられない」
他の誰でもなく
"自分自身"しめます。
 
 
 
 
 
そんな
「誰も信じられない」
に陥った時に
僕がやっていることがあります。
 
意識するようになったのは
ここ最近の話。
 
自分の感情や思考と向き合い、
内面の声とのコミュニケーションを重ね、
気付き得たことです。
 
それは、
 
 
 
 
 
「誰も信じられない
 
だけど
それでいい
 
"自分"だけは信じてあげよう」
 
 
 
 
 
こう決めることです。
 
 
 
自分の "何を" 信じようとか
自分を "なぜ" 信じられるとか
そんなことは考えません。
 
ただ
"自分"だけを信じてあげる
のです。
 
 
 
 
 
 
 
「信頼」とは何か
 
 
 
 
 
 
 
信頼とは"感情"です。
そもそも信頼とは感じるものなのです。
 
感情ということは
"自分の内面"から生まれてきます。
 
嬉しい、楽しい、怖い、不安、、、
どの感情もキッカケは外側にあっても
生まれるのは自分の内面です。
 
 
 
信頼も同じ。
 
自分の内面から生まれ感じるもの
それが「信頼」です。
 
 
 
感情ということは
移り変わりも必ずあります。
 
信頼できる時もあれば、できない時もある。
信頼できる人もいれば、できない人もいる。
 
誰にでもある
当たり前のことです。
 
 
 
そして、
 
自分を信じられなければ
他人を信じることはできません。
 
 
 
「信じたい相手」は他人かもしれませんが、
その相手を信じるのは「自分」です。
 
「相手を信じたい自分」を信じられなければ
相手も信じることができません。
 
 
 
だからこそ
 
 
 
"自分"だけを信じてあげる
 
 
 
のです。
 
 
 
自分を信じられなければ
他人を信じることはできない
ということは、
 
自分を信じてあげれば
他人を信じられるかもしれない
ということです。
 
 
 
「自分を信頼する」
その感情に入っていれば
 
信じるべく時に
信じるべき人を
信じることができます。
 
 
 
人を信じようとしなくても
自分さえ信頼することができれば
他者への信頼も芽生えます。
 
必要な時に、必要な人に対して、
自然な感情として。
 
 
 
 
 
だからもし
 
「誰も信じられない」
 
そう感じることがあれば、
もしくは今まさにそうであれば
こう決めてみて下さい。
 
 
 
「誰も信じられない
 
だけど
それでいい
 
"自分"だけは信じてあげよう」