わっ とうとう忘れてた・・・
今日は1月17日
朝、新聞見て思い出して、今頃UP
昨年まではちゃんと覚えてたのに・・・
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当時もココ(神戸市東灘)にいた、震災で壊れる前のこのマンション7階
2件隣の部屋は妻の実家、母一人
家族は、今といっしょ 自分・妻・息子(当時幼稚園年少)
リビングダイニング横の和室で三人並んで睡眠中
5時46分(らしい)、最初の揺れで目覚める(たぶん)
暗いはずが、何故か明るく、部屋の中がすべて見えた(確か)、揺れてる
そのうち、揺れが大きくなり、洗濯機の中でかきまわされてるような感じになる
部屋中が回ってた・・・すごい音 ガチャガチャガチャ
妻と子供の上に覆いかぶさった・・・一応守らなね(今では考えられんな)
押入れの襖が倒れてきの見えた、跳ね除けた
子供用の洋服ダンスがゆっくり倒れてきた、跳ね除けた
電気もないのに、すべてが見えた・・・
その時は、そんなもん・・・あとシ~ンとしてた(たぶん)
外に出なくちゃと思ったが、外へ出るにはリビングダイニングを通る必要があった
そこは、食器なんかが散乱して、足を踏み入れると、足に怪我をする恐れがあった
妻の実家も気になったが、どないしょうもない
で、三人とも寝た・・・今から思うと、いい根性してる。
日があがって、ヘリコプターと外の雑沓で目覚める
就寝前に閉めたはずのカーテンが全開してた・・・
跳ね除けた子供用洋服タンスや襖が頭の上にあった
テレビ台の上にあった30インチのテレビがない・・・サンルームまで飛んで行ってた
リビングダイニングへの扉は閉まったまま
窓から外を見た・・
たぶん、晴れてた
ヘリコプターが飛びまわってた
何故か、まわり全部が屋根だけ・・・・木造住宅が全部潰れてた
いつもは見えない阪神高速の車線が見えてた・・・・ちょっと先でこっち向いて倒れてた
尼崎の両親、神戸市内の親族の家はみな一戸立てやからアカンって思った
リビングダイニングの扉を開ける
一言、ぐちゃぐちゃ
そこにあった電話通じず(あとで線が抜けてただけとわかったけど)
外までの通路確保にたぶん数時間かかった
玄関から外に出る
いろんな所で煙があがってた
消防車のサイレン・・・記憶がない
駅はあった、架線が垂れ下がってるのに、なぜが電車を待ってる人がいたような・・・
あとは。どうやったやろ・・・
妻の実家
もう片付け終わってたし・・・
「何してたん」って言われたような・・・
そこの電話は通じてた
自分の実家に電話・・通じない アカン
そのうち、千葉の義姉と連絡つく
向こうで僕の実家と連絡ついたらしい、両親共無事って
涙出た・・・
その後、その日の水と食料を確保 (両方の家から集める)
当然、電気・水道・ガスなし
ろうそく、懐中電灯、ペットボトル、カセットコンロで翌日まで過ごす
翌日、当時勤務してた大阪の僕の職場まで車で移動・・・
神戸から大阪につれて、景色の変わって行きかたに驚いた
兵庫県内は難民の街状態
県境の神埼川越えると普通の生活
以上 覚えてることを今のうちに・・・
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もう忘れないように・・・

