変化の兆し、休み明けの朝
止まらない咳。
結核、放射能、黄砂、アレルギー、、、
目に見えないものが信じられないと気づき、前にも増して病院には行きたくない。
生徒会長を務めたことや、コンクールで入賞することや、大学に入学したことでは人の人生はわからない。
むしろ、「朝歯を磨いている時や酒の席で馬鹿話をしているときにこそ、その人の人生はあらわれる」のである。
「人生は要約できないのだ。」
ただのミステリー小説を読むのも、コンクールで入賞するのと同様に人生を変えうるのである。
何かを変えたいからインドに行くのではなく、ただただ過去の自分が決めた計画を人の手を借りて実行するだけである。
でも今はなにかが変わる予感がする。
気付けば明るくなるこの時間帯。
感性が研ぎ澄まされていく感覚。
刺激ある瞬間。
時間が惜しい。じっとしてられない。
そんな気持ちのあらわれのように
咳をしつづける。
いや、ただただ興奮と咳で寝れないだけか。
オーバー
結核、放射能、黄砂、アレルギー、、、
目に見えないものが信じられないと気づき、前にも増して病院には行きたくない。
生徒会長を務めたことや、コンクールで入賞することや、大学に入学したことでは人の人生はわからない。
むしろ、「朝歯を磨いている時や酒の席で馬鹿話をしているときにこそ、その人の人生はあらわれる」のである。
「人生は要約できないのだ。」
ただのミステリー小説を読むのも、コンクールで入賞するのと同様に人生を変えうるのである。
何かを変えたいからインドに行くのではなく、ただただ過去の自分が決めた計画を人の手を借りて実行するだけである。
でも今はなにかが変わる予感がする。
気付けば明るくなるこの時間帯。
感性が研ぎ澄まされていく感覚。
刺激ある瞬間。
時間が惜しい。じっとしてられない。
そんな気持ちのあらわれのように
咳をしつづける。
いや、ただただ興奮と咳で寝れないだけか。
オーバー
音人(おんじん)
とにかく先ずは音楽について
と、言うのも書きたいことが多すぎて、ただどれも巧く文を綴る自信がなくて。
上京して3年が経ち、世界が変わり、自分を取り巻く環境が変わり、そして自分が変わる。
見た映画の数、働く場所、付き合うひと、趣味、髪型、肉付き、歩幅、味覚、、、
音楽もその1つである。
今、100点の音楽を探している。現時点では二つ、ぼくは探し当てた。
ただそこからはなかなかみつからないのだ。
そしてついにこのあいだ
「作っちゃえばいいのか!!」
という、先の偉人達が到達した発想にたどり着いてしまった。
そう 発想段階まではよかったのだ。
もちろん具体的な創作活動には繋がらないのである。
そこがわたしの悪いところであり、いいところなのだが。
宇宙的規模で考えたのならば、
私の生きている時間なんてほんのわずかで、その価値さえも見いだせない。
人類の科学は進歩し、世界を創った創造主(以下、神と呼ぼう)を脅かさんばかりである。
火の鳥ではないが、恐らく人類が神に到達する寸前で文明の発達が人類の生存を否定するであろう。
そうして歴史は繰り返すのだろう。
今、私が生きているのはその一端に過ぎず、その中のチリみたいなわずかな時間を過ごしているだけだ。
そんななにも専門的に研究していないわたしがこんなことまでわかっている。分かっていることが間違っている可能性すら視野に入れて考えている。
神はこう思うだろう、
「チリすら恐ろしい。」
恐れ入ったか神よ。
だが現実はもっと単純だ。神だとか、宇宙だとか、文明だとか、人類だとか、そんなものとは無縁で、ただひたすら 朝起きて、朝ご飯と一緒に子どもたちの弁当を作りながら、夫の起きる時間を気にして、洗濯機の終了音に焦らされながら、掃除を済ませ、こたつに入りせんべいをむさぼりながらワイドショーに目を通し、買い物前に近所の井戸端会議に参加して、八百屋で値切り、子どもが帰ってきては靴をそろえて、夫が帰ってきては、内ポケットに入っているかもしれないピンクの名刺を手探りし、残飯を飼い犬に与えて、酒臭い夫のとなりで寝ながら、明日の天気のことを考える。
そんななか 私が1つだけ、生をうけた価値を見いだすとしたら、
それは
生きていることである。
死後の世界の方がよっぽど楽しいかもしれないが、そんなことは知らない。わたしは神ではないのである。
この時代に、この身体で、こういう育ちをし、このように考え、今、生きている。
それが私が生を受けた価値である。
そんな音楽、探してます、、、
オーバー?
と、言うのも書きたいことが多すぎて、ただどれも巧く文を綴る自信がなくて。
上京して3年が経ち、世界が変わり、自分を取り巻く環境が変わり、そして自分が変わる。
見た映画の数、働く場所、付き合うひと、趣味、髪型、肉付き、歩幅、味覚、、、
音楽もその1つである。
今、100点の音楽を探している。現時点では二つ、ぼくは探し当てた。
ただそこからはなかなかみつからないのだ。
そしてついにこのあいだ
「作っちゃえばいいのか!!」
という、先の偉人達が到達した発想にたどり着いてしまった。
そう 発想段階まではよかったのだ。
もちろん具体的な創作活動には繋がらないのである。
そこがわたしの悪いところであり、いいところなのだが。
宇宙的規模で考えたのならば、
私の生きている時間なんてほんのわずかで、その価値さえも見いだせない。
人類の科学は進歩し、世界を創った創造主(以下、神と呼ぼう)を脅かさんばかりである。
火の鳥ではないが、恐らく人類が神に到達する寸前で文明の発達が人類の生存を否定するであろう。
そうして歴史は繰り返すのだろう。
今、私が生きているのはその一端に過ぎず、その中のチリみたいなわずかな時間を過ごしているだけだ。
そんななにも専門的に研究していないわたしがこんなことまでわかっている。分かっていることが間違っている可能性すら視野に入れて考えている。
神はこう思うだろう、
「チリすら恐ろしい。」
恐れ入ったか神よ。
だが現実はもっと単純だ。神だとか、宇宙だとか、文明だとか、人類だとか、そんなものとは無縁で、ただひたすら 朝起きて、朝ご飯と一緒に子どもたちの弁当を作りながら、夫の起きる時間を気にして、洗濯機の終了音に焦らされながら、掃除を済ませ、こたつに入りせんべいをむさぼりながらワイドショーに目を通し、買い物前に近所の井戸端会議に参加して、八百屋で値切り、子どもが帰ってきては靴をそろえて、夫が帰ってきては、内ポケットに入っているかもしれないピンクの名刺を手探りし、残飯を飼い犬に与えて、酒臭い夫のとなりで寝ながら、明日の天気のことを考える。
そんななか 私が1つだけ、生をうけた価値を見いだすとしたら、
それは
生きていることである。
死後の世界の方がよっぽど楽しいかもしれないが、そんなことは知らない。わたしは神ではないのである。
この時代に、この身体で、こういう育ちをし、このように考え、今、生きている。
それが私が生を受けた価値である。
そんな音楽、探してます、、、
オーバー?
新幹線に乗りたい
私の名はテツ。
時は2012年、正月。
人々が暴飲暴食という言葉をお腹に詰め込み、同時にまた仕事が始まるという重たい気持ちで心を満たしている頃、
なぜ、
なぜまた私は何時間もかけて、鈍行で名古屋から東京に帰らにゃならんのだ。
一月四日なら予約がなくても新幹線の指定席がとれるという安易極まりない心持ちで名古屋駅、通称名駅(めいえき)に向かったからか?
それとも、大阪の祖父母の家に向かうのを蹴ってまでも高校にボールを蹴りに行ったからか?
いや、そのあとに急遽下呂温泉に向かい温泉も程々に朝方まで中国の字が記された牌と呼ばれる石を握りしめながら何杯も缶ビールを流し込んでいたからか?
んいやー 大晦日に二日酔いの中手ぶらで名古屋に帰ったからかーー?!
そもそも私に落ち度があったのかっーーっつってっ!!!
はぁ、はぁ、、
事実は事実は。
時に現実に起こりうることには神様のいたずら以外他になーんの理由も思い当たらない事がある。
そもそも全ての事柄に理由なんてあるのだろうか。
八百万の神だって、立派な文明ではないか。
新幹線ができ、びゅーっと人間を限りなく瞬間移動に近い時間で別の場所へと運ぶ事ができたのを文明と呼ぶならば、
遠い昔に考えた人々の考え方だって、立派な文明であるし、今現在なにも証明されてない事ばかりではないか。
とにかく、新幹線と呼ぶのが間違ってはいないか?
現代においてはもっと早く動く文明を人類は発明している。
よーし、それならばあの限りなく瞬間移動に近い時間で別の場所へと人々や荷物、あるいは空気やチリやゴミや弁当やぽんジュースやイヤホンやゲーム機器やなんやらーだって運んでしまうあの乗り物を俺はこう呼ぶ、
「そこそこ早めに日本中をウロウロする長いやつ」
とな。
少しは気が晴れた。そんな事を考えていたら東京ではないか。
思えばあっという間だった。
鈍行だって悪くない。
時間をかけて、ゆっくりと何かを考えたりしながら移動するのもいいではないか。
あー、忌々しいあのそこそこ早めに日本中をウロウロする長いやつめ。
文明にはメリットとデメリットがあるのを発達させる者は忘れてはいかん!!
あぁ、私はまた感情の爆発を抑えられなくなりそうだ。ふつふつと感じるこの腹部の違和感を抑えられない!!が、ヘトヘトでその違和感の行き場を失いつつある!!そのときっ!!目眩にも似た感動が今私を襲う!!うぐぅ、目の前が明るすぎる、否、暗いのかこれはーーあがが、、、
以上、テツ大全集 第24巻 三章 「鈍行往復記録」より抜粋
オーバー
iPhoneからの投稿
時は2012年、正月。
人々が暴飲暴食という言葉をお腹に詰め込み、同時にまた仕事が始まるという重たい気持ちで心を満たしている頃、
なぜ、
なぜまた私は何時間もかけて、鈍行で名古屋から東京に帰らにゃならんのだ。
一月四日なら予約がなくても新幹線の指定席がとれるという安易極まりない心持ちで名古屋駅、通称名駅(めいえき)に向かったからか?
それとも、大阪の祖父母の家に向かうのを蹴ってまでも高校にボールを蹴りに行ったからか?
いや、そのあとに急遽下呂温泉に向かい温泉も程々に朝方まで中国の字が記された牌と呼ばれる石を握りしめながら何杯も缶ビールを流し込んでいたからか?
んいやー 大晦日に二日酔いの中手ぶらで名古屋に帰ったからかーー?!
そもそも私に落ち度があったのかっーーっつってっ!!!
はぁ、はぁ、、
事実は事実は。
時に現実に起こりうることには神様のいたずら以外他になーんの理由も思い当たらない事がある。
そもそも全ての事柄に理由なんてあるのだろうか。
八百万の神だって、立派な文明ではないか。
新幹線ができ、びゅーっと人間を限りなく瞬間移動に近い時間で別の場所へと運ぶ事ができたのを文明と呼ぶならば、
遠い昔に考えた人々の考え方だって、立派な文明であるし、今現在なにも証明されてない事ばかりではないか。
とにかく、新幹線と呼ぶのが間違ってはいないか?
現代においてはもっと早く動く文明を人類は発明している。
よーし、それならばあの限りなく瞬間移動に近い時間で別の場所へと人々や荷物、あるいは空気やチリやゴミや弁当やぽんジュースやイヤホンやゲーム機器やなんやらーだって運んでしまうあの乗り物を俺はこう呼ぶ、
「そこそこ早めに日本中をウロウロする長いやつ」
とな。
少しは気が晴れた。そんな事を考えていたら東京ではないか。
思えばあっという間だった。
鈍行だって悪くない。
時間をかけて、ゆっくりと何かを考えたりしながら移動するのもいいではないか。
あー、忌々しいあのそこそこ早めに日本中をウロウロする長いやつめ。
文明にはメリットとデメリットがあるのを発達させる者は忘れてはいかん!!
あぁ、私はまた感情の爆発を抑えられなくなりそうだ。ふつふつと感じるこの腹部の違和感を抑えられない!!が、ヘトヘトでその違和感の行き場を失いつつある!!そのときっ!!目眩にも似た感動が今私を襲う!!うぐぅ、目の前が明るすぎる、否、暗いのかこれはーーあがが、、、
以上、テツ大全集 第24巻 三章 「鈍行往復記録」より抜粋
オーバー
iPhoneからの投稿