どーも。バイトでクタクタになって体育のスクーリングに寝坊して担任に怒られたアホ高校生です。

皆さん最近、やたらと寒いですね…。関西の方では豪雪に見舞われているようですね。風邪を引かないように気をつけてくださいね。


さて2021年は皆さんにとってどのような年でしたか?

東京オリンピックがあったり、コロナウイルスに見舞われたり色々なことがありました。

僕にとって2021年は激動の1年でした。

そこで2021年最後の記事は僕の2021年をプレイバックしてみようと思います。

僕にとって2021年という年がどんな年だったのか最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

前置きはこれくらいにしておいて早速僕の2021年をプレイバックしていきましょう。


2021年1月1日、僕は珍しく家族揃ってドライブに行きました。この頃はまだ少し家族の仲が良かったのでドライブに行っていました。確か祖父母の墓参りに行って、父親がやたらと遠回りして帰った気がします。この頃はまだ睡眠薬への耐性がついておらず車の中でずっと寝ていたように記憶しています。

1月2日はバイトに行きました。当時通っていた学校はアルバイト禁止でしたが、家にいるのが嫌で嫌で仕方なく、1番信頼できる学年主任の先生にだけ言って黙認してもらい年賀状の仕分けのアルバイトをしていました。今も同じ郵便局で年賀状を仕分けています。

それから10日ほど経った1月10日。妹の中学受験の日でした。その日に僕は何をしていたのか全く覚えていません。でもとても緊張していたような気がします。

その後の1月は正直、何も覚えていません。ただただ精神的に辛くて、身体も絶不調でした。光なんて見えず、ただただ闇の中を迷走しているような感じでした。薬の副作用で何度か吐いたような気がしますが記憶が曖昧です。

そして2月。11日は元気だったようで3ヶ月ぶりに色々電車に乗って遊びに行って来ました。原宿、渋谷、池袋、東京、押上、浅草。1人で色々回っていました。でも回って何をしたかはまるで覚えていません。心の虚しさを埋めるために東京を彷徨っていたのでしょう。

2月はとにかくメンタルが壊れていて、何もないのに怒り出したり、急に泣き出したりしていました。

この頃になると定期考査が近づいてきておりプレッシャーで夜も眠れず、食べても吐き肉体的にもボロボロだった気がします。

そして迎えた3月。そして定期考査。

まともに勉強できる状態ではなくどの教科もボロボロでしたが、まさかの保健体育で100点を取って当時の教科担任に褒められた気がします。

定期考査で精神的にも肉体的にもボロボロになって次の日にスクールカウンセラーの先生に救急車を呼ばれそうになって焦りました。その日、スクールカウンセラーさんのところに向かう途中の電車の中に携帯を忘れて、届けられていた駅にヘロヘロの体で取りに行きました。

そして運命の3月8日。その日は友達に誘われてこの春で引退してしまうという185系特急踊り子に乗りに行きました。この日はたまたま元気で静岡県の熱海まで行きました。とても楽しい1日のはずでした。しかし家に帰ってから僕はリストカットをしてしまいました。理由は覚えていません。突然襲ってきた虚無感に耐えられなくなってしまったのでしょう。何度も何度もカッターナイフで自分の手首を切りつけました。その時のことを全く覚えていません。その後、机の中に眠っていた睡眠薬を30錠飲みました。当時の僕が何を考えていたのかわかりません。恐らく死にたかったのでしょう。

しかし残念ながら死ぬことはできず翌日の夕方、暗くなった頃に目が覚めました。

目を覚ますと父親が家にいました。そして僕に一言「塾の時間だよ」と。僕は言われるがままに朦朧とする意識の中、塾に行きました。その日の授業の内容なんて全く覚えていません。

今から考えると僕は恐らく親に心配して欲しかったのだと思います。しかし心配してくれることもなく何もしてくれなかった親に強い嫌悪感を抱きました。

そしてその日から3日間、ものを食べることが許されない日々が始まりました。理由はわかりません。そんなに死にたいならご飯食べずに餓死でもすれば?と言われたような気がします。

ものを食べることが許されないので身体のエネルギーを作ることができず、どんどん動けなくなっていきました。最初の2日はなんとなく記憶があります。両親からの風当たりも強く、生きる意味がわからなくなって近くにあったビニール紐で輪を作りました。しかしバレてますます風当たりが強くなってずっと泣いていた気がします。最後の日は記憶がありません。気づいたら母親がスープを作ってくれていて、それを飲んだ気がします。

12日は親に学校に行けと言われて学校に行きました。先生に家でのことを話したらご飯がまた無いかもしれないからとファミレスに連れて行っていただきました。

正直、食欲なんて無くうどんを無理やり頼んで胃に詰め込んだ気がします。

18日には両親のことを児童相談所の方に話しました。当時の担任の先生と学年主任の先生が同席してくださりました。

3月はとにかく辛かった気がします。残りの日はよく覚えていませんがとにかく辛くて辛くて仕方がありませんでした。

なんとか高2に進級した4月。新年度が始まってからの記憶がまるでありません。

親に言われてなんとなく学校に行っていたような気がします。この頃になると発作が起きても先生たちも「またか」という顔をするようになりました。恐らく先生方の中で僕は邪魔な存在になっていたのでしょう。

そして5月。なんとか高2として軌道に乗ってきた矢先、僕は再起不能となりました。部活の大会を最後に僕は学校に行くことができなくなりました。学校に行こうとすると吐き気とめまいがして、外に出ようとすると発作が起こるようになりました。母と相談して僕はこの学校を離れて別の学校に転学することにしました。

5月13日14日15日に資料の中から決めていた3校に電話をして学校見学をしました。

結果的に15日に行った学校が今の学校となりました。この3日間とも親はついて来てくれませんでした。「もう高校生にもなったんだから自分の人生くらい自分で決めろ」というのが親の言い分でした。正直、自分の全く知らない学校に1人で行くというのは恐怖以外の何者でもありませんでした。

でもこの学校にいるのが余程嫌だったのでしょう。その要求を飲み、僕は1人で学校説明を受けに3校を周りました。

そして5月17日に親を連れて今の学校の説明をしてもらい、翌日に学年主任に転学の旨を伝え、転学願を発行してもらい5月31日付でこの学校を去り、6月1日から新しい学校で再スタートを切ることとなりました。5月25日に最後の登校をしました。少し無理をして当時入っていた水泳部で泳ぎました。春のプールはとても寒かったですが、温かく僕を包み込んでくれました。クラスの人からと部活の人から色紙をもらいました。この2枚の色紙は今でも宝物です。

そして再スタートを切る6月。

2日から新しい学校での登校が始まりました。最初の日は母親が学校までついてきてくれました。人生初の転校ということもありますが4年間も男子校にいた女子恐怖症の僕が共学で女の子と話せるかどうかという不安が頭をよぎりました。しかし緊張したのは最初だけでだんだん話せるようになりました。最初は目を合わせないようにそっぽを向いて話をしていました。しかしだんだん慣れてきて向かい合って、首元を見て、口を見て、鼻筋を見て、最終的には目を見て話すことができるようになりました。口下手なのは相変わらずですが、目を見て向き合って話すことができるようになったのは我ながら成長したなと思います。6月は新しい環境に慣れるということに重点を置き、今までとは全く違う世界を生き抜く方法を模索していました。

新しい環境にも少しずつ適応し始めた7月。

17日にこの学校で初めてオープンキャンパスに参加しました。少しでもいろんなイベントに参加して話せる人を作りたかったのでしょう。初めてのオープンキャンパスは当時少し仲良くなっていた人にお声掛けいただきました。前の学校で生徒会をやっていたことを話していたのでそこを買われたのだと思います。

最初は緊張してまともに話せた自信がありませんでしたが、周りの人たちが「よく頑張った」と褒めてくれたのでとても嬉しかったです。

そして立場が確立し始めた8月。

8月はスクーリングやオープンキャンパスがあって少し忙しい月でした。

でも周りがだんだん僕という存在を認知してくれるようになり学校が「楽しい」ものとなりました。週に3回しか登校していないけれど、認めてくれる仲間や友達がいるという安心感がより学校というものを楽しいものにしていたのでしょう。

この頃になると父親がうつ病で休職するようになり、父と相性の悪い僕はカリカリするようになりました。

単位が認定されるかもしれない9月。

9月には単位認定試験という単位が認定されるかが決まる大切なテストがありました。前の学校のように難しい問題だらけで単位を落としたらどうしよう…と不安になりましたが、試験問題は想像以上に簡単で返ってきた成績表には5という数字がたくさん並んでいてとても嬉しかったです。

色々な変化があった10月。

10月は後期から入ってくる人がたくさんいました。通信制高校の特性上、毎月たくさんの人が転入学してくるのですが、後期のスタートである10月にはたくさんの人が転入学してきました。彼女が転入学してきたのもこのタイミングです。

10月はイベント事が多くありました。転入学してきた人が多かったため、アイスブレイクのために1週間使ったり、専門学校に見学に行ったり、林業体験で林に行ったりしました。彼女への恋心に気づいたのは10月の半ば頃だったと思います。

気づいたら好きになっていました。

体育祭のことでてんてこ舞いになっていた11月。

11月はスポーツ大会のことで頭がいっぱいで体を壊す寸前まで頑張りました。しかしなんとなく不完全燃焼で終わってしまった感じがするので少し残念なところではありました。後半はスポーツ大会の疲れが残っていてまともに勉強しなかった気がします。

そして迎えた12月。

12月はスクーリングがあったり、告白をしたり、バイトが始まったりととにかく忙しい月でした。

中でも4週目が1番しんどく、学校に行った後に7時間働いていました。おかげで疲れ果て友達に当たり散らすという最低なことをしたり、体育のスクーリングの日に寝坊したりと色々な弊害もありました。


そんな感じで僕の2021年を駆け足でプレイバックしてみましたが、いかがだったでしょうか。前の学校にいた前半は散々でしたが、今の学校に転学してからの後半はとても楽しく毎日過ごすことができています。もし読んでいて不愉快な気持ちにさせてしまったなら本当にごめんなさい。しかし僕にとって2021年とはこのような年でした。

読んでいて「〜なような気がします」などという記述が多いなと不思議に思った方も多いのでは無いでしょうか。なぜなら僕はよく覚えていないことが多々あるからです。しかし当時の手帳やInstagramのストーリーから当時の僕が何を考えていたのかを知ることができました。どんな形であれ記録をつけるということは大切なことだなと思いました。

いくら辛い思いをしても過去は過去です。生きているのは「過去」ではなく「今」なのです。しかし「過去」があるから「今」があるのです。

辛かった過去のおかげもあって今、僕は生きています。今を生きるためには過去から学ぶ必要があります。しかし過去を言い訳にして生きる気は僕にはありません。

もう過去を理由に自分に言い訳をしたく無いのです。過去は過去なのです。終わったことをネチネチ言うのは僕の性に合いません。

2021年。とても辛かった年だったと思います。しかし辛い中だったからこそ小さな幸せで喜ぶことができました。転学したことで素晴らしい友達や先生、彼女との出会いがありました。

2021年に学んだことを糧に2022年、さらにバージョンアップしていけたらと思います。

最後まで読んでくださった読者の方、ありがとうございました!

2021年も残すところあと僅かとなりましたが皆さんの中で2021年が素晴らしい年だったと願っています。

また新年2022年、バージョンアップした僕とお会いするその日まで。

2021年ありがとうございました!良いお年をお迎えください。