手に余る巨乳と途方もない財産を相続し損ねたチンパンジーを飼育するコツ

手に余る巨乳と途方もない財産を相続し損ねたチンパンジーを飼育するコツ

この世は金と女と権力と甘いものとアルコールと魚料理と格闘技が全てなのは皆さんご存知の通りですが、それ以外について書きます。

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6年生の時にクラシックギターを手に入れとりあえず禁じられた遊びの最初の方などを弾いていた。程なくしてドラマ「とんぼ」の再放送を見た。テレビドラマにしてはやたらと血の出る番組だったがこれがやたらと面白く、主題歌のとんぼが収録された長渕剛の「昭和」というアルバムを買ってきた。
従兄弟と会った時に、長渕剛良いよね、という話をすると従兄弟は俺のさらに上を行っていて、長渕剛がかなり若い頃のライブアルバムなどを持っており、それをダビングさせてもらってすっかり気に入ってしまった俺は、初期の作品から昭和までが収録された長渕剛のタブ譜を買ってきてそれを教則本代わりにギターを弾くようになった。こうしてクラシックギターで長渕剛を弾き語る気持ち悪い小学生が完成した。
中学に入ってから、先輩がエアロスミスとレッドツェッペリンのどっちが上か、という今にして思えばクソくだらない不毛な口論をしていて、それを聞いてなんだそれはと思った俺はとりあえずレッドツェッペリンのセカンドアルバムを買ってきた。変な音だった。あまり加工してない荒々しいギターの音とヘンテコな癖のあるドラムにやたらと声量のある奇天烈な歌い方のボーカル、やたらと長いほぼドラムとベースだけのバッキングなど聞き慣れるのに割と時間がかかったが完全にはまった。エレキギターが欲しくなりばーちゃんにせがんで3万ほどもらい黒のダイアモンドとかいう謎のロゴの入ったレスポールを買った。後からわかったことだが廉価なギターを多く生産しているaria の全身の会社のギターらしい。コレでZepのセカンドアルバムの曲を練習した。
ボーリング場に友達と行った際あまりに暇だったため、ジュークボックスで何となくジミヘンをかけた。当時のジュークボックスはレーザーディスクでMVが流れる仕組みだった。パープルヘイズだった。ヘンテコな曲だった。ドラムはやたらと手数が多くバタバタしているし、ブーーーー!という変なギターの音でジミヘンはたまに歯で弾いている。これは大変だと思いすぐにレコード屋でジミヘンのCDを買って帰った。radio oneという、スタジオライブのアルバムだった。ボーリング場で見たMVのさらに上をいくヘンテコな音が炸裂していた。当時の俺にはいい加減に弾いているようにしか聞こえない曲も沢山あったし、歌い方がモゴモゴしていてメロディがあるのか無いのかよくわからない、何よりジャケットのジミヘンの表情が面白かった。耳が慣れてくるとこれは大変なギタリストだという事が分かってきた。またドラマーのミッチミッチェルが良かった。
それから芋づる式にエリッククラプトンなどを聞くようになる。古いブルースも聴いた。60年代から70年代のロックを聴いた奴のお決まりのコースだ。
学校で他の奴にも聞かせようとしたが、誰も理解してくれなかった。当時はクラスの連中全員BOOWYかブルーハーツしか聞いておらず誰も興味を示さなかった。6年生位からそんな状況だった。みんなが良いというものしか聞く気がしないと言うクソみたいな奴らだと思っており俺は内心軽蔑していた。しばらくすると、兄貴の影響でストレイキャッツを聞きだす奴とか、セックスピストルズを聞く奴とか出てきた。その状況は好ましかったしどちらも好きなバンドだったが、結局それをクラス全員が聞だす、という状況に陥る。ストレイキャッツに至っては友人を介して他の中学まで流行が広がり俺の身の回りがストレイキャッツのコピーバンドだらけになるという状況になってしまった。不快だった。どいつもこいつもフワッとしたリーゼントにしやがる。一方俺の好きなロックは耳慣れるまで時間が掛かるためか、じっくり聞いて良さを理解しようという姿勢の一ミクロンもないカメムシのような連中に受け入れられる事はほとんど無いままだった。一聴して良さがすぐに理解できるキャッチーなモノしか受け入れられなかった。これなら理解できるだろうと思って勧めたジェームスブラウンでさえ、同じこと何回も叫んでるだけじゃ無いか、と言われる始末。死ねば良いのにと思いましたとさ。