9日10日で義母と義妹と3人で義母の姉の葬儀に新潟まで行ってきました
昨年、義母の甥の葬儀には、義父の世話の為行けなかった義妹も今回は義父が元気になれたため一緒に賑やかに行きました~
最近義母の認知はかなりのスピードで進んでおり、一人で遠出はとてもできません。
手土産を買った後も誰にあげるのかを10回以上は聞いてきます。何をしに行くのかも忘れてしまい、誰が誰が亡くなったのも忘れて告別式の朝も、これからどこいくの❓と何度も聞くので、
私『さあ、これからどこいくんだっけ~❓思い出してみよう~』
義母『う~ん…ぼ~とする』
私『おばさんの告別式だよ~』
義母『え~死んだの~❓』
そして前日の行動を伝えると、ああ~そうだったと少しだけ思い出せる
これが認知症なんだと思い、明日はわが身だなと他人事に思えません。
誰よりも働き、休みなんかほとんどなかった義母が仕事から離れて10年目に発症。
人間は追われて暮らして大変だ~大変だ~と頭と身体を使っていてこそ普通に暮らせるんだと実感します。
義母はまだ行動も言葉も穏やかで優しくかわいいから見守れますが、この体も巨大で声もデカく、若い子に負けない体力の私が認知症になったならば、誰も制御不能だと思う。
徘徊が始まったなら私は1人途方もしない場所へ電車を乗り継ぎ出かけそう~
娘夫婦に負担にならないよう慌ただしい毎日を続けていこうと心底思います
新潟に出向いたお通夜の晩、主人からラインで、
テツがお前がいないからションボリしておやつも食べない
と来ました
毛玉がたまってたんじゃないか~❓とも思ったけど、確かに行く前の散歩でも出かける寸前も、テツには今日は帰らないからいい子で待ってるんだよ~と伝えていた
私がいないのが寂しいのではなくて、ヤンチャなハクと2人なのか~と疲れてたかなとも思った
でも今回2日間とも婿殿が奇跡的に休みだったので、テツの散歩も、ハクとの戯れも見てくれました。娘も2日目は休みだったので私が帰宅した後の夜の散歩も頼めて助かった~
娘達に遊んでもらい疲れて横たわるテツの真似して横たわるハク…
ハク『オヤジ~元気出せや~母ちゃんそのうち帰るぜ』
テツ『……近っ💦…』
私が帰宅したら、テツは素直に甘えられず、後ろ向きに座り撫でてもらおうとシバシバしてました。
ハクはゲージから目をまん丸にして驚いたような顔して見上げてました。その後1人スィッチ入り家の中を物凄いスピードで走り回ってました
帰宅したらドッと疲れが出てあっという間に爆睡しました。
今回は、義母の実家に泊まらず燕三条駅前のビジネスホテルに泊まったので、展望大浴場に朝晩入れてリフレッシュ出来ました
新潟は雪がちらつき本当に底冷えと言う言葉がピッタリ。
帰る新幹線から見えた浦佐あたりから上毛高原あたりまでは猛吹雪でした。
高崎あたりからはほとんど雪はなく、大宮に住む姉の前の家を探し見つけ、姉とラインしながら東京まで帰り、帰宅ラッシュの中、義母と荷物と人混みに押しつぶされながら川崎に戻りました~
昨日は川崎もかなり冷えてました
義妹は千葉なので上野で降り自宅に向かいました
義母は5人姉妹の1番下で、一人だけ川崎に嫁いだ為なかなか帰省は出来ずにいました。義母の姉妹の中で1番元気な叔母が亡くなり、残る2人は脳梗塞と脳溢血で義母を認識できず寝たきり状態、一人は目はほとんど見えず、耳も遠く葬儀にも参列出来なかったので、葬儀後に叔母宅に寄り、義母と会わせてあげたらかなり喜んでくれました。ここまで来て会えなかったら次会えるかわからないから…
今回なくなった叔母が去年甥の葬儀に参列出来なかった時、私と義母が帰りに寄らずに来たら今回亡くなってしまったからです。
叔母は義母に会いたかったと言っていたと聞いたので、
会える時には何としても一目会わせてあげようと思った
もし私が歳をとりなかなか姉と会えなくなっても機会があるときは何としても会いに行こうと思いました。
元気なおばあちゃんに絶対なる‼️と心に誓った
テツとハクと元気にハツラツと生きていきたい