#107 舵を取る 2 | 心の赴くままに

心の赴くままに

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前回の投稿の実験では、犬が対象でしたが

人で考えたときも同様の事が言えるのでしょうか。

 

前出の「無気力の心理学」の中で、

大学生を対象にショックの変わりに苦痛を感じるほど

大きな騒音を聞かせるという実験についても、

 

騒音を自分の働きかけで止める事が出来るグループに対して

その騒音を自分の働きかけで止める事が出来なかったグループは、

その後の実験で、自分の簡単な働きかけで

騒音を止める事ができる状況においても

 

<こんな簡単な反応にもかかわらず、人間以外の動物で

みられたのと同じように、(中略)被験者は、騒音から

うまく逃れることができなかった>(P8)とあります。

 

他にも、苦痛な騒音を聞かせるかわりに

解決不能な問題を与えるという手続きによっても

 

<いくら努力しても解けない問題を与えられたあとでは

自分の力によって回避できる不快な経験をそのまま受動的に

受け入れてしまう傾向が強くなるかどうかをみようと

したわけである。彼らの結果は、大体において

セーリックマンの仮説を支持するものとなっている>(P10)

とあります。

 

<不快な刺激を、自分の努力(働きかけ)によって

取り除けないことを繰り返し体験すると、

無力感が形成されてしまう>(P18)

という事が実験によって証明されています。

 

また、前回の投稿にある様に

一度「無力感」を獲得してしまうと

まったく違ったシチュエーションでも

同じように反応してしまうそうです。

 

それはなぜなのでしょうか。

私は「無力感」を形成する際に

2つの要素を獲得しているからだと考えています。

 

一つは、「環境に対する諦め」

もう一つは、自分が働きかけても

状況を変える事はできないという「セルフイメージ」です。

 

一旦、この「ものの見方」を獲得してしまうと

それ以降、このフィルターを通して

世の中を捉えてしまう事になるのではないでしょうか。