私は妻と子の3人でつくばに住んでいます。
妻のお腹にはあたらしい命が宿っています。
こどもは幼稚園にかよっており、私は研究員をしています。
震災から3ヶ月
つくばで子育てをしながら感じたことを
気ままに愚痴っていこうと思います。
第一話 大地震、その時
私は研究所の建物の中で被災しました。
はじめはいつもの茨城沖の地震かと思っていたのですが、数秒後に強い揺れを感じました。強い揺れがくるとすぐに停電し、建物がギシギシと悲鳴をあげ、テクニカルスタッフの泣き叫ぶ声が聞こえました。揺れが激しい時に私は手に持っていいたジュースを一口飲みました。いつも口にするキリンレモンの味と変わりありませんでした。
屋外に退避し、携帯電話の2速というアプリで地震の震源や規模を知ることができました。ワンセグが見られる携帯には人だかりができていました。どの携帯電話も通話はできませんでした。妻とこどもは東京に出かけており、難を逃れました。何度か大きな余震があり、建物の安全が確認できないのでそのまま帰宅することになりました。信号が消えた交差点では大渋滞が発生しており、普段3分で帰宅できるところを30分かけて帰りました。その後の断水や停電は想定範囲内だったので思ったほど苦痛ではなかったと思います。
今思えば福島第一原子力発電所の事故はもうすでに起きていたのですね。私はその事故を母からの電話で知りました。たしか母はCNNで大々的に取り上げられている、今すぐ逃げた方がよいと言っていたと思います。3月12日のことでした。
翌週の14日月曜日に職場へ顔を出した際にしばらく休暇をもらうと上司に告げました。学会発表や歓送迎会で忙しい年度末が一転してしまいました。次に出勤したのは22日でした。
休暇の期間、私は東京都小平市へ疎開しました。妻の実家です。そこで無計画な計画停電と退屈な民放番組とACのCMとNHKの素晴らしさを知ることになりました。原発に詳しいはずの専門家たちは意見がばらばらでした。行政はその専門家に振り回され、東電は責任者が雲隠れし、経産省は安全院のマスコミ発表担当者をすり替え、文科省はSPEEDIのデータを迅速に公表しないという、笑えないショートコントがそこかしこで展開されていました。
私の性なのだと信じておりますが、何よりも腹立たしかったのは、内部被ばくと外部被ばくの取り扱いを曖昧にしている専門家たちでした。内部被ばくについて事実を知りながら黙殺している国際機関にも憤りました。X線従事者であれば誰でも知っているようなこともわかっていない専門家が間違った情報を垂れ流しにするという特番をいくつも発見しました。ミリとマイクロの言い間違えや単位の間違い、あるいは単に計算ミスなどがいくつもそのまま報道されていましたよね。命にかかわる数値をそんなにいい加減な気持ちで扱ってほしくないし、発表してほしくなかった。一方私の反省点はと思い返してみると、海外メディアの情報をもっと信頼していればよかったということだろう。
そして、兎にも角にも
母親の言うことはよく聞くもんだ。