初めは弾を打つ事すらガクブルだったのに、最近では自分よりでかい獲物を獲れるようになって来ました。
生命を学びたい!とか初めは思ってたけど、何か慣れて来ると、そんな綺麗事を考えてた事すら恥ずかしい...(/ω\)
むかーしからある事なので、やっぱり色んな技があるし、地方によって習慣や儀式的なものも異なります。
猟場によって獲物の種類が違えば足場も違う。
山によって食性も違えば習慣も違う。
自分が一番最初に教えられたのも、山を知る事でした。まずこれを知らないと猟師達の会話について行けないんです。
「あの大杉の所の3~4本目の間に大きなウジがあるやろ?」
いや~、全く意味が分かりません。
あんまり聞くと怒られるし、いつまでも分からないと馬鹿か!と罵られる...(T_T)
優しいのですが、猟師も高齢化が進んでおり、基本的に気が短い...(¯―¯٥)
人数が揃った時は巻狩りとなり、自分の持ち場に張りついたまま、犬が山から獲物を追い出してくるのを待ちます。
獣は通りやすい道を通るので、何度も通られた道を獣道といい、自分達の地方ではこれをウジといいます。
このウジの広さで獲物を特定し、足跡で最近この道を使っているか、何の獲物かや大きさを特定します。
大きい猪だと、1発当たったぐらいでは失速しないので、自分の方に向かってすんげーガサガサ言う音が近くなってくると、心臓が飛び出す程ドキドキします。
現れた時はまず犬や人間ではないかを確認。追われてなく、警戒している獲物は目が合うとほんの一瞬止まってくれるヤツもいて、名人はこれを「捕られてくれる獲物」と言ったりします。
仕留めた時は何とも言えない高揚感がありますが、これを人の持つ狩猟本能や猟欲という事もありますが、野菜を収穫する時の気持ちとかなり似ているような気がしてます。
ここからが一般的にエグい所がなのですが、止め刺しや血抜き、解体。運ぶ車は何かに入れてないと血まみれになり、ハラワタを出した時にはお腹に子供が入ってる時もありました。
さすがに胎児を初めて見た時はキツかったのですが、凹んでると、そんな自分にそんくらいの覚悟で鉄砲を持つな!と大先輩から叱られてました。
日頃からバカ話や下ネタばっかり言うてるのに、
ジー様達はやるときゃやります。
すごい事を割りとカジュアルにやってのけるので、プロってのはこーゆー事を言うんやなぁ~と思いながら、体力には結構自信があったのに、70~80代のついて行くのがやっとでした。
始める時は、食って事について学ぶ為で、分かったフリして食材を偉そうに選ぶ自分に何かムカついていたのと、猟師が持ってる肉の美味さにビックリしたのがキッカケでした。
猟を通じて、人が山に手を入れる里山保全ってのは、全然知られとらんけど大事な事なんやなぁ~と思いました。
生え過ぎた木を切る事(間伐)も大事な事で、生えすぎて陽が届かなくなると荒れて植物の多様性が偏り、それを餌としていた動物達も食に困って人の畑を荒らす。
戦前までは間伐材を燃料としたり、炭を作ったり。里山に住んでる住人達はほとんどボランティアという形で携わって地域を守っていたように思います。
また、放置竹林が多すぎるという問題もあり、生え過ぎた竹林は筍も出ず、人や獣も通れない為、それを餌にしていた動物達も餌に困っているのは言うまでもありません。
昔はどこの家でも竹を切っては道具を作り、誰でも刃物の扱い方を知っていた。
それが全て正解!とは思いませんが、その暮らし方が理にかなっていて、美しいと思える人は今の世の中増えていると思っています。
そーゆー善い循環の中に人がいて、便利を超えた所に価値を見いだせる事が、この先幸せを見つけるヒントになるんじゃねーかなー?と思うのでした。