何億年、何万年とかけて単細胞から細胞分裂を繰り返してゆっくりと霊長類の長となるまで進化して来た人間。
1番近い人類でさえ、狩猟採集時期から農耕時期があったりとその土地と風土に合わせた自然を観察し、知恵と体の機能を生死を繰り返しながら生きる事にお金なんてかからない生活という歴史を刻んで来ました。
もちろん現代の文明社会を否定する訳ではなく、自分も車に乗って飯を食う為に働いて、インターネットの通信料を払って始めてこんな事をほざいてます(;^_^A
ここ100年~200年で生活を取り巻く環境が恐ろしく変わり、それに連られて精神性や人間味というモノが悪い方向に行ってると感じてるのは多分自分だけではないと思ってます。
だからと言って自分の思考や行動に相反するモノを敵対視するのは、日本という精神性の高い文化を持つ国に育った人達には合っていないと感じます。
古来より、八百万の神を称え、貧乏にさえ神がいると全てのモノが自分以外の意思であり、感謝するという習慣の文化があり、森羅万象の全てを愛する行為を育んで来ました。
ただそれが全て正しいとは全く思いませんし、「ありがとねぇ」というのが口癖になる程腰の低いスローライフの老人達でさえ、子供が文明を望み、老人ホームで嫌々仕事をしている介護士とかに赤子をあやす様に扱われているのを見ると、胸が痛くなる現実も存在します。
だから何?と言われればそーなんすけど、もう少し生き急ぐような社会を俯瞰的に見てもいいのかな?と言う気がします。
何もかも敵対視してそれが生き甲斐になってしまえば、いつの間にか敵がいなくなれば新たな敵を作り出して負の循環を過ごす人生を選択してしまいます。
そーなる事が悪いとも思いませんが、自分の胸に手をあてて聞いて見れば、それが豊かなな暮らしかどうかの答えは自分が持っています。
1日の内で電気を消してロウソクを焚いてみるとか、コーヒー豆を挽いてペーパードリップしてみるとか何だっていいんですが、自分を癒し、許してやる時間を少しだけ作ってみるのもいいのかと。
何となくそんな事を書きたくなって、何でこんな事を書いてんのかもよー分からんのに、何故かスラスラと書けました(¯―¯٥)
偉そうやったらすんませんm(__)m