こんにちは。村田照幸です。
2008年、私は「膵頭部がん(膵臓がんの一種)」と診断されました。
当時は膵臓がんの生存率が非常に低く、「5年生きられるのはわずか数パーセント」と言われる時代でした。
そこから16年。
私は今も元気に、生きています。
この間、病気をきっかけに人生の景色は大きく変わりました。そしてこのブログを通じて、私の体験を少しずつ綴ってきました。
今回の記事で、膵臓がんに関する発信はいったん一区切りにしたいと思っています。
その締めくくりとして、私の手術を担当してくださった松山隆生准教授(横浜市立大学附属病院 消化器外科)にお話を伺いました。
手術の難しさと当時の医療事情
松山先生のお話によると、私の手術は門脈という血管の一部を切除・再建する非常に難しいものだったそうです。
さらに、手術前にジムザールとTS-1という2種類の抗がん剤による化学療法を行っていたため、腫瘍の周囲には炎症が広がり、手術そのものがより複雑になっていたとのことです。
ここで大切な点があります。
実はこの「抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術する」という治療方針は、当時としてはまだ一般的ではありませんでした。
ですが、私を診てくださった遠藤格教授は、いち早くその手法を取り入れ、私に最善の選択をしてくださったのです。
現在ではこの「術前化学療法 → 手術」という流れが標準的な治療法として確立されています。
あの時、遠藤先生の判断と決断がなければ、今の私は存在していなかったかもしれません。
医療の先を見据えた治療に、今でも心から感謝しています。
当時の私は、自分の体の中でそんな壮絶な“戦い”が行われていたとは知る由もなく、
ただ医師の言葉を信じて、体力をつけ、食べ、休むことを繰り返していました。
「退院」はゴールではなかった
術後に感じた「助かった」という安堵。それは間違いではありませんが、
「本当の意味での成功とは“5年後も生きていること”」だと、松山先生は教えてくれました。
当時は、がんと診断されてから手術を受け、退院したらそれで「ひとまず安心」と思ってしまいがちでした。
でも現実は、その後の体調管理や再発予防、心のケアまですべてが“治療”の一部だったのです。
CTに映らない「ミクロのがん細胞」との闘い
「転移はありません」と言われたときの安心感。
けれど先生の言葉にハッとさせられました。
「CTに映らなくても、1mmにも満たないがん細胞が体のどこかにいるかもしれない。
それは誰にも、医師にも、わからないんです。」
だからこそ、術前の体力づくりや、術後の経過観察がいかに重要かということが、いま改めて身に沁みます。
16年、再発なし。私が言えること
この16年間、ありがたいことに再発は一度もありません。
それは決して当たり前のことではなく、遠藤格教授、松山隆生准教授をはじめとする医療チームの方々の力によるものだと、心から思っています。
治療法の選択、手術の技術、そして何より「患者に希望を与える言葉」。
その一つひとつが、私の命をつなげてくれました。
患者の声が、誰かの光になる
「こんな話、誰が聞いてくれるんだろう」と、最初は不安もありました。
けれど松山先生は、こう背中を押してくれました。
「有名人の発信ばかりが注目され、センセーショナルな話題として挙げられるが、村田さんのような一般の人が“がんと向き合い、生きている”という事実は多くの人の励みになると思います」
この言葉に、私は救われました。
だからこれからも、膵臓がんに限らず、病気や人生の転機を迎えた人たちに寄り添うような言葉を発信していきたいと思っています。
最後に
このブログ記事は、私の個人的な体験と、松山先生からのインタビューをもとに書いています。
私は医師ではないため、医学的なアドバイスをする立場ではありません。
体調の変化や不安がある方は、必ず専門の医師に相談してください。
そして、どうか忘れないでください。
「私は大丈夫」と思っているあなたこそ、一度きちんと検査を受けてください。
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皆さんの体験や気づいたことも、ぜひコメントで教えてください。
これからも、がんと向き合う方々の背中をそっと押せるような記事を書き続けていきます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
— 村田照幸
