りんけんの音楽余話

「たとえ、ひとりでも…」

1984年9月1週目 沖縄タイムス掲載

 

 音楽は完成度の高いものが良いと思い込んでいる人がいる。どんなジャンルにしても、情報量の多い世の中だから、ある程度の知識はだれでも身につく。が、それでもってすべてを評価すると危険である。

 音楽を作る人は、それなりに時間とお金を費やし、聴衆の評価を受けられるようにはなるが、表面上だけの評価はいただけない。

 特に自称評論家になると徹底してあら探しをやる。それに負けた才能あるアーチストもいる。

 自分が作る物と聴衆の求めている物がピタッと合うとアーチストとして一応成功したと認められ、いつの間にか神様あつかいされる人もいる。

 沖縄、日本に限らず世界の国々にも神様あつかいされている人はいる。より多くの人たちに愛された音楽が良い音楽だという自称評論家は多いが、決してそのアーチストが優れているわけではなく、たまたま今の時代に受け入れられたというだけのことである。

 この時代に受け入れられなかった音楽やアーチストの中にもテクニックのスゴイ人がいたり、民族音楽やそのアーチストたちにもすばらしい人や心にしみる音楽がある。一人でもいいから「いい音楽だ」とか「好きな音」だとか言われたら、それはそれなりに音楽としてりっぱに成り立っている。

 

(照屋林賢·音楽家)