鳥籠の中の人生 -2ページ目

鳥籠の中の人生

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こんばんは
teruwakameです。

テスト期間中でなかなか更新出来ない日が続いてしまってます。

そんな中、投稿してるのは
わかりますかね?

この日、何の日かご存知ですよね。

6年前
2011年3月11日
東日本大震災

たくさんの方が亡くなられ
今でも行方不明の方が約3000人います。

あの震災から6年が経ちました。

数字で表してもしっくりきませんね。

震災の日に生まれた赤ん坊は
今年で年長か小学校に入学します。

それほどの年月です。

当時のことは覚えてます。

当時、私は小学5年生でした。

帰りのHR
いつもの様に担任を待ってました。

すると

ガタガタ

机が揺れ始めました。

「わっ!地震だ!」

一人の男子が叫びました。

みんな急いで机の下に隠れました。

些細な揺れでも机に隠れる

これが私のクラスでは当たり前でした。

机に隠れ始めた辺りで担任がやって来ました。

この時はいつもの様に小さな揺れだと思ってた私たちは

「俺が先に気づいたんだぜ!」

と言いながらクスクス笑ってました。

「静かに!」

先生から注意をされて、みんなは黙りました。

あの時いつもと違うと思ったのは

異様に揺れてる時間が長い

そして

強く揺れました

今まで経験のした事ない揺れ

女子が泣いてしまうほどでした。

その後避難をして
一斉下校をしました。

同じルートで帰るグループと別れ、
それから家に1人で向かいしました。

時々襲ってくる揺れ

立つのが少し困難でした。

どうにか家に着き、リビングに入ると

母と兄がいました。

TVがつけられてて

緊急地震速報でした。

アナウンサーの人たちは頭にヘルメットを被ってて
その場は混乱してるのか
スタッフたちの声が音声に入ってるほどでした。

「凄い慌ててるw変なの〜(笑)」

この時私はあの状況を笑ってみてました。

しかし

家に着いてから少し経つと

地震がきた瞬間の震源地付近の映像が流れました。

大きな津波が家々を飲み込み

避難に間に合わなかった人が窓から出て助けを呼んだり

それを見て
叫んでる人たちが映っていました。

引き潮がきて
波に運ばれた家や車は海の方へ引き込まれ

また
少しすると

波がやってきて

のみこんでいきました。


その光景を画面越しに見た私は

只事ではない

そう実感しました。

兄から聞いた話では

家の近くに
コンビナートがあるのですが

それが爆発しました。

兄の友人は
その爆発音とキノコ雲を見たそうです。

また

当時インフルエンザで休んでた親友は

地震がきたとき

食器棚に収納されてる皿が落ちそうになり
必死で止めた

というのを後日聞きました。



それから
6年

私は今、進路と受験について悩んでる高校2年生です。

震災直後と今

じょじょに復興に向かってます。

まだ、故郷に戻れない人たちもいます。

あの日から

普段の日常がどれだけ大切だったかを思い知りました。

あの震災から

色んな国々から支援金を寄付していただいてます。

悲しみにくれずに1歩前へ

悲しくて辛いのは皆同じ

スタートラインはみんな同じ位置

何万人何万脚

力を合わせて乗り越えていこう

そして

次の世代の子供たちに教えていこう


この震災で亡くなられた御家族・御友人の方、御冥福を祈ります。