選挙の取材をしていると、一方の候補者に共感、共鳴して、心情的に肩入れしてしまうことがある。

もちろん、記事は公正中立に書いているし、どの候補の陣営とも適度な関係を保たないと取材ができないから、コウモリのようにうまく立ち回っているつもり。

ただ、根が馬鹿正直なせいか、取材の時、言葉の端々に気持ちがにじみ出るようで、各候補者の陣営や同業他社から、肩入れを指摘されることが、しばしばある。会社の上司から、お叱りを受けることも。

なぜ、一方に肩入れしてしまうのかというと、強いものが嫌いで、弱いものがそれに立ち向かってると、応援したくなる天邪鬼なところがあるからだろう。弱いほうの主張が真っ当で、強いほうが力でごり押ししようとしてる構図だと、なおさら。
かっこよく言うと、義侠心にかられるということ。

残念ながら、肩入れしたほうが負けてしまうことが多く、自分にとっては「正義」が敗れる姿を目の当たりにして、天道はどこにあるのか、と落ち込む羽目になる。

ちなみに、これまで、国政選挙から町村の選挙まで、いろんな選挙を取材した中で、自分が一方に肩入れしたのは衆院選の某選挙区、参院選の某選挙区2回、某市長選、某町長選、別の某町長選の計6回。このうち、肩入れしたほうが勝ったのは参院選のうち1回だけだから、通算1勝5敗。

この勝った参院選は、その前の別の選挙でファンになって肩入れしたのに、負けた候補者。リベンジの気持ちもあり、痛快だった。
あとは、負けて悔しい思いばかり。
某市長選の時は、肩入れしたほうが勝つと読んでいたので、その予想も外れ、二重に悔しかった。

選挙は異なっても、自分が肩入れするほうの陣営や支持者は、だいたい同じ顔ぶれ。
よく言えば、自分と通ずる反骨精神、義侠心の持ち主たちだが、悪く言えば、負け組の面々。
自分もついには、「また、あんたが来きたのかよ。あんたが来ると、負けるな」と、冗談交じりにだが、候補者に疫病神扱いされるようになり、自分自身も負け組か?と思ったりする。