※これからも信念を貫くために頑張っていくって意味で日記を残しておきます。


2022年6月1日。

午前4時頃に病院からお婆ちゃんが容体が急変したと連絡が入り、駆けつけた時には亡くなっていました。

コロナ禍の影響もあって、面会できない世の中になってずっと生き別れ状態が続いてきた中で、

27日に少し容体が変わってきて様子を見るという一報があった後に、30日に施設→クリニックの院長先生の判断で病院に入院の手配をしてもらえたものの、折り返しの電話をした時には病院に移っていたので状態の変化も顔も見れないまま、再会は別れとなりました。


多分コロナ禍で長く生き別れを経験した人は分かると思いますが、実感が沸かないというのも正直な気持ち。


孫の立場で一番尽くしてきて、代わりに背負ってきて、挙句の果てに生き別れとなって、その結末がこんな形だと普通の人なら暗闇の底に堕ちてもおかしくないと思う。

けど何故か僕は病室でお婆ちゃんの亡骸を見て、両親と弟を見てこう思って言った。


悲しい事ではある。

けど、そのまま悲しい方へ堕ちて立ち上がれなくなるより、今を生きている者がこれからを進んでいけるようにすべきだと思うと。

それは精神疾患を患ってきた親兄弟やそういう世界を見てきた自分だからこそ、そうさせてはいけないと思った部分と、いつも窮地の時こそ自分よりも周りを支えないと、しっかりしないとっていう責任感がそう自分を駆り立てた。


それにお爺ちゃんお婆ちゃんならきっとそうするだろうし、そう導いてきただろうし、そう望んでいるはずと。


お婆ちゃんが亡くなる時は1番ショックを受けるであろうと心配もされてたし、自分もいざとなるとどうなるかは検討も付かなかった。

けど、その日が訪れても僕は何も変わらず、

"自身よりも周り(相手)を想う"に至った。


だからこの日記を書いてる今日まで、

一粒の涙も流していない。

寧ろ前に進むことを考えてる。


いろんな事があったし、こんな時でもそういう態度をとるのかって人も居たけど、

それでも信念を貫き通した結果、

お婆ちゃんの親しい人達、実の兄妹、

いろんな人達に

"本当によくみてあげてきたと思う"

"本当にありがとう"

そして疎遠としてきた人からも

"いろいろできなかったり、気が付かなかった部分もあってごめんね、代わりにみてくれてありがとう"

も言ってもらえた。


僕はこう思う。

年上年下も関係なく、

常に相手を敬う心を持って接して、

大変な時こそ助け合う心を、

自分から率先して動くことでお金に変えれない信頼を得ることができると。


その結果がお婆ちゃんの保護者として、

責任者として最後まで貫いた果てに見た景色でした。


嫌なこと、

面倒なことは避けるのが普通だと言うのなら、

僕はこう言いたい。

避ければいつまでも追いかけられる。

それは傷つける者、そして自分自身に。


責任を負うというのは

苦しくもあり簡単な事ではないけど、

それでも間違った事が納得いかないのであれば、

何度堕ちて独りになっても立ち向かっていけば、

自分中心に考える小さな世界の人達よりも、

もっと多くの人達に"人として"認めてもらえると。


お婆ちゃんも生前よく言っていた言葉で、

"負けたらいかん、悔しい‼︎と思うことを心に秘めて、感謝を忘れず生きていたら人は寄ってくる"って。

その通りになったよ、お婆ちゃん。


だから今も変わらず、誰に言われてやってきた事でもなければ、自分が決めたことだから生きてる限り続けていくから。

家を、家族を、まだ独り取り残されてる僕らの大事な長男=忠和兄ちゃんまで繋げるから。

本当にありがとう。

そう最後の瞬間に額に額を当てて"約束"しました。


まだバタバタしているけど、それでもSNSを通じて新しく出会えた人や、歩んできた先で出会えた人達に感謝を返せる自分である為にも、

やさしさを信念に頑張っていきます🥁


最後に。

思い立ったが吉日と教えてくれたお婆ちゃん。

5月28日に感謝を届けたい人達がいる、

だから撮ろうっていつも思いつきで行動して、

予定してた曲と違った曲を撮影したけど、

曲の内容や本来の自分らしさが表現されてる曲を選曲できて良かったと思えたことと、

まるで"輝紀、もう行ってきなぁよ"と背中を押してお婆ちゃんが旅立ったような、そんな気がしてます。


不器用な自分ですが、出会ってくれた人達、今も残ってくれてる人達へ、本当にありがとう😊


AR-15 / We Go The Way

Drum Cover by 石川 輝紀 -Teruki- 


https://youtu.be/K10DkRvl6a8