陶楽園の窯元佐藤幹氏

会津本郷焼の窯元佐藤幹氏は 「こちらへどうぞ」と、スレートの屋根が覆う北斜面の登窯に案内して下さいました。「昔の古い窯をそのまま改修して作ったものです。壁はそっくり使いましたが、天井の部分はくずれ落ちていたため、耐火土でアーチ型の部分を作り直しました。

窯の部屋室は3室、高さが六尺(1.8メートル)、幅が四尺(1.21メートル)、奥行き2間(3.64メートル)ほどで、登窯としてはゆるやかな勾配です。

 焚き囗は北向きで、会津地方の風向きは北風が強く、薪の燃えが良く、温度の上昇に役立つからです」と話されました。

 窯の内に入るとひんやりとし、壁は高温と灰釉のため焼き物の肌のごとく光沢を帯びていました。

まるで宝石のように輝き、窯の壁は装飾用ブローチにも使えそうなのです。

 

○4年ぶりに東日本大震災で倒壊した登窯を復興(平成27年8現在)

現在、本郷焼の窯元で登窯を持っているのは、宗像窯と陶楽園の2軒で、薪窯として貴重な存在なのです。

 「年に2回の割合で火を入れております。燃料の赤松を確保するのが大変ですが」と、窯場の側にきちんと積み重ねられた松割り薪の束に目を向けられました。

登窯には大小8千点の釉薬を掛けた作品が入るそうです。

登窯は2日がかりの焼成なので、精神力を集中し、体調を充分に整え、本焼に備えます。焼成中は、一瞬の気のゆるみも許されない真剣勝負なのです。

 「登窯は、何回焼いても緊張します。1240度で焼き上げますが、炎と器が一体になり、水をつけたように器が濡れ、釉薬が溶けてきた時にはホッとしますね」と、燃えさかる窯の炎を見つめるように目をほそめました。

 「今度は7月に窯詰めをし、火を入れます。その時にはご案内します。是非おい出下さい」と、丁重な誘いを受けました。

  ここに面白いエピソードがあります。

 日本テレビ製作、高橋玄洋作『火の女』が昭和58年4月の初めに陶楽園を舞台に撮影され、6月に放映されました。主演は、火の女に女優の坂口良子、その恋人に渡部篤史、陶芸の師には岡田英次が扮し、高森和子等も脇役を固めました。

会津本郷焼の窯場を舞台にした悲恋物語です。テレビ撮影は一週間を費やし、ロクロ制作の画面では佐藤幹氏の手による吹き替えをしたそうです。

主演の坂口良子や渡部篤史達も土練,ロクロ裁きに熱心で、ロクロの前に坐ったきり、容易に離れようとしなかったとそうです。

 「窯場というのは、何かしら神秘的な雰囲気かしますね。だからドラマになるのですね。モデルは幹さんだと聞いておりますが、「私はいたって土臭くて、ドラマのモデルになるような陶工ではないですが、原作では女主人公の坂口良子さんが最後に死んでしまいます。そこで、原作者の高橋玄洋先生が死なせてしまって申し訳ない、と何度も謝られ、かえって恐縮してしまいました」と、頭に手をやって笑われました。

「それにしても、陶工の仕事や窯場の臨場感、雰囲気を出すための演出などはすばらしい」と2時間テレビ放映に感心しました。

 窯場から奥座敷に通されました。奥から、会津の雪のごとく白い肌の、目の涼やかな美しい夫人がにこやかに「お茶をどうぞ」と、進めて下さいました。8畳ほどの和室の棚には作品が置かれ、その側には美術全集がギッシリと並べられていました。研究熱心な幹氏の作陶生活の一端を垣間見た気がしました。

 幹氏の展示場は、この窯場より50メートルほど離れた、本郷町(会津美里町本郷)の大通りにあります。展示場は20坪ほどの広さで、ショーウインドーには、日展入選作の青い壺線の詩が飾られています。また、本郷焼独特の釉薬で焼かれた壺や大皿、一輪差し、抹茶碗、コーヒーセットなどの作品が並べられていました。

 

 

○佐藤幹氏作品「線の詩」(平成27年作)

会津本郷焼の陶祖、水野源左衛門家のお墓にお参りし、ようやく青葉の木々が濃くなって来た磐梯山麓と、夕日が彩る猪苗代湖の風光明媚な景色を眺めながら帰路につきました。