ロクロを引き、焼き物を作り始めて50年になりますが、よく「焼き物の美しさ、魅力はどこにあるのですか」と尋ねられます。
実際焼き物を作る陶芸家と鑑賞を目的にする人とでは、焼き物に接する姿勢や観点に違いが見られます。

日本人は昔から茶碗を手にのせて御飯を食べ、お茶を飲んでいます。
毎日の暮らしの中で、
知らず知らずの内に焼き物の肌の滑らかさや温もりに触れ、舌でも味わい楽しんできました。その感覚が日本人の感性には組み込まれているのではないでしょうか。

欧米では食器に手の付いた物が数多くみられるますが、日本古来の食器には一部の例外を除いてほとんど手の付いたものは見当りません。

この違いが、焼き物の肌を通して器を鑑賞し、慈しみ味わうという、日本人特有の感覚を育ててきたのではないでしょうか。
それはあたかも母親の肌の温もりであり、若い女性のはつらつとした輝きであり、成熟した女性の豊満な肉体の美しさを無意識のうちに焼き物に求めているように思われます。

 

 

(作品名 炎映 大きさ高30センチ・横28センチ)
 
焼き物は、暮らしの中で使って初めてその美しさを発揮するもので、箱にしまいこんでいては、ただ老化を深めるだけで美しさは発揮されません。時々は箱から出して、空気や水分を与えて欲しいものです。

 

四季がはっきりしている日本の風土ならではの、水分を含んだ器は美しいものです。
朝な夕な、棚の上の壺を眺めると、その日の天気によって壺の肌が水分を含んで湿ったり、乾いたりします。
これがまた、まわりの空気と調和し合い、えもいわれぬ美しさを醸し出します。