忘れないうちに日記にしておきます。
出産はよく「 案ずるより生むが易し」と言うけれど、
私にとっては「易し」では無かったです。
まず予想よりはるかに時間がかかった。
16日前に出産した妹や、夏に出産した比較的安産だった友達の話を聞いて、
案外簡単に短い時間で(痛いのは仕方ないけど)出産できる、みたいに思っていました。
時間経過としては
25日23時頃:陣痛と思われる腹痛が10分間隔になる。(生理痛、正常に会話可能)
26日5時頃:腹痛が5分間隔になる。(生理痛、正常会話可能)
病院に電話をし、入院の準備をして病院へ。
==入院==
腹痛は5分間隔で襲っては来るが、お昼を食べたり、駆けつけた夫と会話ができる。
食事をカメラで撮影する余裕すらある。
しゃがみこむほどではないので、陣痛を促進するため病院内を散歩。
しかし、この状態は変化せず・・・
==退院26日15時==
26日15時:腹痛は前駆陣痛の可能性が大なので、ひとまず帰宅することに。
(このまま入院していても2,3日陣痛が来ないと恥ずかしい)
26日19時:実家で夕飯を食べていたが、3分おきの腹痛はしゃがみこむほどに。
(生理痛、正常会話可)
再び病院へ電話をし、入院。
==入院 26日19時==
3分おきの腹痛(これは本当に陣痛)は、どんどんエスカレートし、
痛みが襲ってきている間は、ベッドのパイプや夫の腕をギューっと握り締める。
トイレで陣痛が来るのが怖いので、夫にトイレまで付き添ってもらう。
もちろん中まで同伴。用を足している間にも陣痛は来るので、夫の腕をギュゥ。
噂には聞いていた肛門から何かが出そうになる感じもとうとうやってきて、
夫が手のひらで肛門辺りをギューっと押さえつける。
これは陣痛の度に。
テニスボールをお尻に当てると良いと聞き、準備はしてあったが、
夫の手の方がフィットするので、夫にはずっと手の平で押さえてもらっていた。
今考えれば3分おきに何時間も、一体夫は何度私の肛門を押さえつけただろう?
もうこの頃は正常に会話は不可能で、私は
「痛いイタイイタイ」
「(お尻を)押さえて押さえて」しか発しないようになった。
部屋に時計はなく、あえて聞きもしなかったが、多分24時前だろう。
助産師さんが子宮口の開きを見てくれたが1cm。
こんなに痛いのにまだ1cm10cmまで何時間かかるのよ
しばらくして(多分まだ2,3時間しかたってなかったろう)3cm。
その間もずっと痛みは続いている。
お尻からはますます何かが出そうになるし、お腹はこの上激痛だし・・・
途中助産師さんが計測器の調子を見に来たときに、預かり中の新生児を抱っこしてきた。
その子を見た瞬間、私は涙してしまった・・・
もうじき私も私のベビちゃんに会える、頑張らなくっちゃ。
ベビちゃんも頑張ってるんだって。
でもでも何時間もの痛みに耐えられなくなった私は夫に
帝王切開か誘発剤をお願いしたい、と弱音を吐いた。
もうダメだと思った。死んでしまうと思った。
私の苦しんでいる姿を見るに見かねた夫は、反対もせず助産師さんにお願いに行ってくれた。
すると助産師さんがやってきて、誘発剤するにしても、今はスタッフの数が揃っていないので
やるとしても明朝と説明して下さった。
7時半には先生に診て貰うように手配するから、ということ。
7時半っていうけど一体今は何時だろう?まだ真夜中であることは間違いないが。
あえてまた時間は聞かずに苦しむことに
27日8時:先生が内診してくださって、おまけしても4.5cm。
誘発剤やりましょうか、ということに。
さっそく点滴を開始すると、痛みの間隔はどんどん短くなり、痛みもピーク。
もう立ち上がれる状態ではなくなる。
27日9時:陣痛室→分娩室へ移動
とうとうこの時が来たと少し明るい未来が見えた気になる。
深呼吸×2回→いきみ×1回
という繰り返しを助産師さんの掛け声で何度も何度も。
27日10時19分:soraちゃん誕生
「やっと会えたね」ホントやっと会えたという気持ちでいっぱい。
おでこは皺が10本くらい入っていて、唇はだらーんとタラコみたいに伸びていて
想像とは違う赤ちゃんとのご対面でしたが、ほんと、頑張って出てきてくれてありがとう。
という感じでした。
あと、夫の応援なくしては絶対に乗り切れなかった出産でした。
夫の腕はきっとアザと引っかき傷で一杯だったに違いありません。
前駆陣痛も入れて約1日半、私には長かった~~~~~~
2人目は早く出産できると聞くけれど、今のところ2人目はまだいいかなという感じです
確実に次は高齢出産だし、ちょっと体力つけて精神力も付けてから!?