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TERUの部屋

不定期に更新しています。宜しくお願いします。

 1年程度前だったかな?mixiのapple版のアプリがあったのでアプリ登録しておいた。

 

 この2・3日イイね!を知らせるカウントが多くなっていた。記事をUPした訳でもなく、コミュニティーの活動を再開した訳でもないのに。

 私の過去の「遺物」をこのタイミングで読んでくれている人がいるんだ。

 

 そして、「あしあと」を見ると・・・何年も前には毎日のようにメッセージで会話し、オフ会では、朝まで騒いだ「あの仲間」たちがまだ遊びに来てくれていた。その仲間たちの新しく加わった人達が私の記事にイイね!をくれたようです。

 

 mixiではいろいろな経験をしました。いい事もそうでないことも。「聖地」には仕事で行けなかった私のために、その流れでわざわざあの「味園」に集合し朝まで語った。若かったな。東京や北海道の方もいた。初めて逢う人ばかり。男性6人、女性5人。初めてのオフ会だった。

 

 それから数人とは関係が続いたが、みんな次第にmixiからFacebookへと移行していった。そして年賀状だけになり、さらに疎遠になっていく。

 

 今、ブログを書いている最中もmixiのカウントが上がっていく。恐るべし。

 

 BARに着くと、女将が電話していたのか2階へという合図。細い階段を登って2階に向かう。今日は着物姿の女将は否が応でも目立つ。

 席についてマスターおススメのワインで乾杯。その後近況を。半同棲的な時期は楽しかったと女将。でも少なくない仲間の訪問や明菜・葵の突然の襲来もあり自宅に戻る回数が増えるようになると、「悟った」と言っていた。私が助かると思い、洗濯や掃除をサポートしてくれていたのは有難かったのは事実だけれど、気も遣っていた。ある時期、女将が来なくなり、こちらも連絡しずらくなっていて、時間が過ぎていた。

 話すか悩んだが、昔の恩師から見合いの話があったこと、そしてそれを断ったことも。驚いてはいたが、お互いひとりは寂しいよねと笑う。

 今後はこれまでの様な密ではない関係で、仲間としてたまに飲もうか?という事に。

 

 BARの前で女将と別れ、お店に戻っていった。私は歩いて駅に向かった。

 

 翌朝、前日のお礼と「内藤」先生を紹介しろ!.とLINEにメッセージが残っていた。

 最近貴重な体験をした。この歳で「お見合い」。

もう50を超えると、恋愛というより、この後どう生きるかになるので、20代や30代独身世代の恋愛はできない。

 残りの時間を一緒に過ごせるかどうか。仕事も徐々に減って?くるだろうし、自由な時間も増える。一人では不安な事もあるかも知れない。身体は丈夫に見えてそうではないし、コロナで入院もした。

 

 自分と相手の生き方が同じ方向なら、一緒に住んだり、籍をって事になると思っていて。

 

 2度結婚を途中で終わってしまっているので、慎重にもなる。

 

 早期ハッピーリタイヤの夢は新会社設立でNGになり、まだ働かせて貰える立場にある事は幸せなのだろうか。

 

 好きだけで判断できる「純粋な」時期が懐かしいのだけれど、「結婚」という縛りが無ければ、その恋愛はできるのだろうか。

 

 若い時代のように、彼女を全力で、精一杯に心も時間も向けることはできない。残念ながら。仕事も大切な仲間もいる。

 

 それでもいい?なんて失礼で云えない。

 

 2回目の結婚は親しい仲間の援助もあり、そんなことを考える事もなく進んだ。ただ一緒に居たかったし、仕事も仲間も知っている中で恋愛が進んだから。

 

 こんな事を考えている時点で、答えが出ているのかも知れない。

 仕事が遅くなり20時に梅田に。簡単な食事をとり、散歩に。

丁度雨があがって。

 

 桜は満足に見れなかったけれど、そろそろハナミズキが綺麗な季節。

 

 ところで・・・5月にチケットをとっている、Aimerのコンサート、どうなるんだろう。明菜がチケット持ったままだ(電子チケットなので直前でないとスマホにダウンロードできない)。仕方ないね・・・メールがきてもこの話題には触れないでおこう。

 

 年末から年始を過ぎ、いろいろな事が起こったので断片的になりますが、書いていきます。

 

 まずは12月の末に受けた人間ドックの結果で複数の要検査項目が。2度に渡っての検査入院。次は6月の検査で手術かどうかの判断がある。大腸と胃にあるポリープが停滞していたのに、すくすく育っており、切った方がいいとういう方向に。

 

 仕事面。子会社の立ち上げ。この時期に?ってなるんだけれど、その設立準備に入った。

 

 最後に葵・明菜のこと。葵はリングの後は落ち着いていて、LINEは毎日来るけれど、我儘を言うことはなくなった。たまに大阪に出てくる時に食事をする。

 

 明菜は年末に時間が欲しいといい仕事後に食事に行った。彼女は3月末に退職する事になった。本人が学生時代からの夢である美容業界に本業でチャレンジする。1月からあのテキトー上司が再担当になり、引継。2月に入ると有給を消化、アジアを回り、一時帰国して、会社関係の手続きを済まし、4月からハワイへ住居を移す。もうすでに彼女は日本にはいない。いつ帰るかはわからない。帰ってこないかも知れない。

 彼女の決断にはいろいろな紆余曲折があり、正直に話してはくれないが、随分予定よりも遅れてしまったと言っていた。空港への見送りは固辞され、出発日も教えてくれなかった。

 

 明菜との口約束の半分も守れていないが、彼女の願いであった旅行に行けた事は良かったかな・・・と思っている。

 

 明菜と葵が私の部屋に泊まることになった時、部屋着に着替えた私を明菜が凝視していたことがあったらしい。私は覚えていないのだけれど。今回の事はそこに切欠があった。

 今回のプランは私の部屋着に着替えた時に見た脹脛の「尋常じゃない」浮腫みが気になって仕方が無かったという。葵がいたのでその場で処置ができず、時間が経てば経つほど言いにくくなって。

 明菜は学生の頃に海外の島国を回り、ロミロミやヒーリング、エステ、マッサージ等を経験し日本に戻ってからも学んでいたようで、私の脹脛を見た時、何とかしたいと思ってくれていたようで。コロナも不安定な時期が続いたので、なかなかこのような機会がつくれなかった。

 

 先日私の会社に仕事で来社していた時、私が何度か足を無意識に摩ったり、軽く叩いたりしていたのを見てそろそろ限界と思ってくれたみたいです。

 

 明菜のバッグには大量のタオルとオイル等が入っていた。浴槽にお湯を溜めゆっくりヌルめ温度で15分温まるように言われる。

 

 ガウン姿で出てくると、ダブルベッドがタオルで埋め尽くされ明菜も作業しやすい作務衣のような服に着替えていた。電気を極限まで落とし、特に酷い肩首から始まった。そこで、明菜の施術が本物だと認識した。月に2~3度整骨院に解してもらうのだけれど、男性が力任せに解すのと向きや角度、力加減が違い、ソフトにしているのに、電気が走るほど効いていて。明菜には言っていない、「頚椎椎間板ヘルニア(首のヘルニア)」を言い当てた。肩の周辺が終わると、腰を飛ばして足先に。オイルでのマッサージからスタートしたようなのですが、肩の気持ち良さからか、いつしか眠ってしまったようで・・・。暗い室内、ヒーリングに良い音楽が流れ、心地良いマッサージ。眠るでしょ?って起きた時弁明していたようです。体の向きも変えてくれたようで、明菜の目的は達成したと言ってました。

 

 まだ暗い室内だったので、カーテンを開けるとほぼ全裸の明菜が。急にカーテンを開けたので驚きながらも、カーテンを閉めようとする手を止め、浴室へ連れていかれた。

 

 軽くシャワーを浴び来るときに入ったものと違うバスソルトが入った浴槽に一緒に入る。

 

 ここからはまた違った施術が。言葉で上手く言えないのですが。

 

 最期は軽く流して浴室を出る。

 

 大量のタオルの2人で片づけ、ベッドへ。

 

 丁度良い時間になったので、食事へ。明菜のお任せコースが予約されていたので、美味しく頂いた。

 

 食後外へ散歩に。ATCがすぐそばに。フェリー乗り場周辺まで歩き、戻る。

 

 翌朝、先に目覚めたので起こさないようにフロントへ。会計は既に済まされており、先を越されてしまった。

 

 部屋に戻ると、明菜はベッドの真ん中に座って、笑顔で「おはようございます」と。朝日が射して綺麗だった。

 

 それから数週間後、仕事でATCに。それまで数年間縁が無かったのに。想い出の場所になった。