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社会的養護について、学んでいます。
「こども時代のすべてを施設で暮らす」というケースが、
少しでも減って欲しいと願っています。
ちょっと脱線してしまいました。
「もっと児童養護施設という場所について知ってほしいです!」
「もっと里親制度について知ってほしいです!」
そう言われていたと思っていたけど、こちらの思い違いだったのかな・・・。
ボランティアをしていて感じていた、このモヤモヤを言語化できずにいました。
考えている中で、気になっていた古い映画のタイトルです。
実は未視聴で、タイトルだけを覚えていました。
ストーリーは、肌に合わなかったが、軽重の捉え方は考えさせられた。一方は、偶然が重なった出会いであるからこそ重さを感じ、他方は偶然が重なった出会いであるからこそ軽さを感じる。軽さと重さのどちらかが肯定的で、どちらかが否定的という話でもない。これは、人生における個々の選択の軽さとその影響の重さの対比のようだ。自身にとって重要な影響を与えると考える選択ですら、振り返ってみれば、その軽さに驚かされる。
多くのレビューの中に見つけたこの1つのレビューが、
ボランティアをしている中で
私が感じていることをうまく表現してくれているように感じました。
私たちにとって、あの子の存在は
けっして1/45,000ではなく唯一無二だと思っているけれど、
我々ボランティアは、施設側から見たら
数時間*〇日/月/年 「たまに見かける人」なのだろうな・・・。
その
数時間を念出するのに、どれだけ大変な思いをしているか…もちろん言いませんが。
確実に言えるのは、実親さんのように(一般家庭も含めて)
「この日は、子どもの〇〇があるのでお休みください」とは言えないということです。
ここ数日、友人夫婦も保育園の卒園式のために、仕事の休みを取りました。
そう・・・我が子のためだったり、
せめて今現在、里親として受託していたら堂々と主張できるんですけどね。
「こんにちわ~」と事務室に声をかけても、目が合っても放置プレーされたり。
寄付・寄贈をすると「良い人」扱いなの?
寄付・寄贈をしないと「良い人ではない」の?
毎週、施設を訪問できない人は、「使えないボランティア」なの?
どこかの里親さんで不調になったからと言って、
私個人を目の敵にしないでほしい。知らんがな。
…せめて、普通の人間扱いしてほしいと思っています。
人間扱いもできないくらい、施設の職員さんは疲弊しているのかな・・・。
自分の可処分時間を使って、こんな扱いを受けにいくってどんなマゾヒストでしょう。
諦めないけど。
お読みいただき、ありがとうございました。