No Judgement Part 2 | 英語は度胸とニューヨーク流!

No Judgement Part 2


英語と度胸はニューヨーク仕込みでぃ!


ワシはいつからかいいとか悪いとか言う表現が嫌いになりました。
上とか下とかはもちろん、正しいとか間違いってのも苦手。


人をそういった基準で判断(judge)することは嫌だし、
それを自分に向けられたら完全シカトします。

物・事・人はすべて表裏いったい。


何かを取り上げて、善悪や正誤で判断するのは、
ものを単純化(simplify)したり、概括化(generalize)したがる
幼稚な(immeture)考え方だ、または怠惰(laziness)だと常日頃思ってます。


子供の頃は、善悪を教えられ、世の中はヒーローと悪人の世界。
彼らにもいろいろ事情があるんだよ~なんて通じません。
でもオトナになったら、いろんな面で物事見ないとやってけない。


1本の棒を持ったら1方は上を向き、片方は下を向く。
よく切れる包丁は便利、でも危険でもある。
優しい人(thoughtful)には優柔不断(indecisive)な人も多い。
みんなひとつのことです。


日本人は人目を気にしすぎ?(イイエ、ダレデモ)

でも人への思いやりだって人1倍。

どっちも起源は同じです。

コンプレックスも慎み深さ(modesty)の表れ。

世界でも評価を受けています。


どっちかいいとこだけを取りましょう、なんてのは甘い。
必ずもうひとつ、ついてくるもんだ。

好きな人にここは直してもらいたいってのも難しい。

そんな無理・無茶・無駄に挑戦してる人を見ると同情する。
けど共感はできない。

欠点が直ったとたん、長所だったとこもなくなってるかも。

好きなら全部引き受けるしかない。


ところで今、世の中は善悪より力の時代。
金がある人、成功してる人、きれいな人、人気がある人。
そういう人がすることや言うことが手本になる。
つまり正誤の基準はパワー(power)しだい。


彼は成功したから、彼のやり方は正しかった。というわけ。
同じことして失敗した人はどっか間違ってたんだ~、となり
勝ち目のない議論になります。


宗教で、いいことがあれば神様のおかげ、
だけど悪いことはあなたの行いや不信心のせい、
ってゆー理屈と同じです。

Right or Wrong とはその程度のもの。


話はそれたけど、
物事の最低2面性(two sides)を見るのは大事かなと思います。
じゃないと人を追い込み、自分を追い詰めることにもなりかねない。


異国語や異文化、異人さんに出会った時に、
自分になじみ深い価値判断で見てると、

思わぬしっぺ返しに逢います。
なんで~と悩んだり、怒ったり、傷ついたりします。

あるがまま受け入れるか拒否するか。


ガマンも日本人得意です。
でも絶対いつまでも続くわけではありません。
結局向こうが思ってもみないときに爆発。
チンプカンプンの渦中にいる相手に、ワーッと逆上?


だったら小さいガマンのうちに、冷静に話しましょう。
なんでか聞きましょう。どう思うか教えましょう。
それがコミュニケーションです。


傷も病気もガンも小さいうちなら手当て可能。
進行したらなかなか治らないか手遅れです。

また、除去するかわりに、うまく体内に取り入れて(adopt)、

ともに生きる(adapt)ことができる種類もあります。


私は許せない!という人もいるでしょう。

もう終わりにしましょう、と。

そういうアップダウン(ups and downs)を
実は楽しんでるドラマ好き(dramatic queen)もいます。
それはそれで悲劇です。本人は気づいてないから。


でももっと楽しいドラマもあるし、
それは先入観(stereotype)のない心から生まれるもんです。


自分に対してもそう。
これじゃあダメだと戒める前に、
これだと行きたい方向へ行けなくなる、と思うだけです。


後戻りするより、軌道修正のほうが楽。
頭の中の整理しだいでかなり前向き。
しかも無理な強がり(bluff)やごまかし(deception)じゃなく、

自然にそう思える。
自分や他人に妥協するんじゃなくて、納得して前へ進める。


英語に神経質になってる人や、正答を探してる人。

試験で必要なとき以外は、どんな英語でも自分の個性です。

言いたいことが誤解されない程度に、それを伸ばしましょう。

相手や他人の英語もジャッジするのはやめましょう。


あんまり突き詰めても壁はどんどん出てきます。

ぶち当たるか、抜け道を探すか、ドアを作るかは自分しだいです。


No Judgement ! (=物・事・人に色をつけない)

マジ好きな言葉です。


英語は度胸と愛嬌!