こんにちは、カナコです。
この暑い中、
娘が幼稚園で歌っているらしき
クリスマスソングを熱唱しています。
むー。違和感。
この暑い中、
サンタさんは来るのだろうか。
去年の娘。
さて、英語奮闘記、
お読みいただきありがとうございます。
これまでのストーリーはこちら
【英語奮闘記②】勉強するなと言われても。帯状疱疹からの留学チケット
今日は、私の人生最大の失敗のお話。
なぜ、私はあんなこと…
晴れてカナダの大学から、
正式なオファーをいただき
奨学生として一年間留学することになった私。
とりあえず内定したのが4月頃。
旅立ちが7月。
様々な提出物などのやりとりをして
一年間の学生ビザを申請して
準備を進める。
ちょうど直前の6月に教育実習もあり、
(中学・高校の英語教員免許を取った)
めーっちゃくちゃ忙しかった。
そして7月。
私は当時の大学寮の片付けを徹夜でして、
30キロくらいの荷物を背負い、
母にお別れを言い、
日本を去った
飛行機に乗りながら、
次日本に帰るのは一年後か〜
と感慨深い気持ちに浸っていたと思う。
そして、
カナダのバンクーバーに着。
ここで入国審査があり、
その後私は国内線に乗り換える予定だった。
が。
実は、私、
ビザを持っていなかったのだ―!!!
申請中のまま。
許可下りてなかったの!!!
え!なんで来ちゃったの?
そうですよね。そう思いますよね。
私もそう思います。
でも、当時無知な私は、
何とかなると思ってたんです
最初1か月は大学付属の語学研修だったので、
その間は旅行として入国して、
長期のビザが下りたら
一旦帰国してまた来よう、と。
んなことできるかー!!!
誰か過去の私に言ってやってください。
まあでも、語学研修すら
ビザの遅れでmissしたくなかったんです。
そして私はどうなったかって?
入国審査官はみるみる険しい顔になり、
私はそのまま別室へ連れていかれました。
その部屋は、
すべてガラス張りで
所持品は一切持つことができません。
ドアが一つあるのみ。
トイレに行きたくなったら
監視員に声をかけるように、
と言われます
そこで私は、事の重大さを認識。
他に同室にいるのは、
いかにも怪しそうなお兄さん…
そして、私はそのガラス部屋で
数時間過ごした後
日本に送り返されます。
フライトの座席に座るまで監視員に付き添われてね
日本に着いて
とりあえず母に電話しました。
もう、母、唖然。
一年会えないと思って
お別れをしたのに、
1日もたたずに娘帰ってきたYO―!!
でも私は帰ってきたところで
大学寮も引き払ってしまったし、
友達にも恥ずかしくて会えないし、で
そのまま実家に戻ることにしました。
つづく。