こんにちは、カナコです。


 

 

私の英語奮闘記、

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

これまでのストーリーはこちら下矢印

【英語奮闘記①】涙のステージ。私は英語ができません

 

 


英語のおかげで

私の人生は波乱万丈です。

でも、そのおかげで

旦那と出会えたという説も…びっくり


 


では第2話、

どうぞ。



 


【英語奮闘記②】勉強するなと言われても。帯状疱疹からの留学チケット

 

 


英語スピーチのサークルで

部長になった私。

 

 



以前先輩にしてもらったように

後輩のスピーチ指導をしたり、

自分もスピーチを書いて大会に出たり。


 

  



こんな大真面目な女子大生で

すみませんという感じなのだが、

授業以外の全てを

これに捧げたといっても過言ではない。

 


 



そういえば、

『部長になれば彼氏ができる』という

謎のジンクスがあったのですが、

そのジンクスをぶち壊したのも私です。

彼氏とか全く興味がなく、

勉強勉強、スピーチスピーチ真顔

 

 


 

 

ま、今の旦那は

この時に出会ってはいるのですがwww

 

 

 

 


私が英語スピーチサークルで

最も得たものは、

英語力ではなく

旦那だったという説も♡笑い泣き

 

 

 


 

はい。話がぶっ飛びましたが、

そんなわけで

大学3年の12月に引退する時まで

私はサークル活動に全てを注ぎました。

 

 


 

 

そして。

 

 


  

 

周りがそろそろ就活…

とそわそわし始めた頃。

 

 

 


 

私はどうしてもやりたいことがありました。

それは、

海外の大学に留学すること。


 

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英語スピーチ活動で

それなりの英語力は手に入れたものの、

この時の英語力は、

ちょっとニセモノなところがあり。

 

 

 


というのも、

何か月もかけて

スピーチを書き上げて、練習して、話す、

というのは得意になっていたけれど、

 

 

 

実戦で英語を使ったことがない。

 

 

 


ホンモノの英語力には遠いな、

というのを感じていました。

 

 

 


しかし、

私費で留学するお金はなし。

ならば交換留学か奨学生としての留学だけど

それには殆ど時間がない。

皆1年前くらいからTOEFLを受けて、

スコアを取って、アプライしている。

 

 

 


私に残された時間は4か月。

それで留学のチケットが取れなければ、

諦めるしかない。

 

 


 

 

というわけで、

猛烈TOEFL勉強と受験が始まりました。

 

 

 


 

最初2回くらい受けたけれど、

全然スコアが足りない。

 

 




それでも容赦なく期限は迫ってくる。

周りは就活を始めている。

どんどん追いつめられる。

 

 




そんなある日、

突然身体の左半分が痛くて

動けなくなります。

 

 

 


病院に行って受けた診断は、

帯状疱疹。

 

 



お医者さんに

「原因はストレスや過労なんだけど、

思い当たることある??」

と言われ。

 

 


はい。。

TOEFLの点数が取れなくて。。。

 



 

「ちょっと勉強お休みしなさい。

これはストレスからくるものだから。」

 

 



やだー!!

そんなこと言われても!!!

これで留学に行けないほうがストレスなの!!!



と半泣きで勉強した覚えがあります。



 

 

 


そして・・・

 

 





もう東京受験の日程は全て間に合わず、

最後は新幹線に乗って

京都まで行ってTOEFL受験!

 

 


 



そしたら!

 

 





なんと!

 

 

 





受験途中で

パソコン故障!!!

テスト中止!!!

 

 





 

こんなことってあるのですね。

全額返金されましたが、

これで私のTOEFLは全敗。

 

 



 

もうだめだ、と絶望していた時、

TOEFLではなく

イギリスのIELSという試験の結果も

大学が受け入れてくれることがわかります。

 

 



勉強する時間もなく、

ダメもとで申し込んだこの試験。

 

 





そしたら、 

まさかの一発で

留学できる最低ラインを突破!!!クラッカー

 

 

 




 

本当に点数も日程もぎりぎりでしたが

奨学生として

留学に行く権利を得ることができたのです

 

 

 

 



そうして、

私は晴れてカナダの大学に

行くことになりました。

 

 




 

この後、

カナダの空港で

強制送還されることになるとは

思いもしなかったのですが・・・

 

 

 



 

あれは人生最大の失敗だな。






 

つづく。