こんにちは、カナコです。

 

 


 

私の英語奮闘記シリーズ

はじめまーす!!

 

 


 

前回のシリーズが

海外奮闘記で、また英語奮闘記・・・。

 

 


 

どんだけ奮闘しとるんじゃ、って感じですが

他にピッタリくるタイトル思い浮かばず。

奮闘記、がぴったりしてしまうこの私。

 

 



 

暑苦しくて、すいませんお願い

 

 



 

でも語学って、

帰国子女とかでない限り

簡単に身につくものじゃないですもんね!

帰国子女だって最初は現地で相当苦労してるんだよね。

 

 

 


 

私の数々の失敗記、迷走記。

あははと笑っていただいても、

何かの参考にしていただいても、

幸いです!

 

 



 

でははじめまーす。

 

 

 


 

【英語奮闘記①】涙のステージ 私は英語ができません

 

 


カナコの

生まれは東京。

育ちは愛知県の田舎町。

 

 


 

東京出身の母からはよく、

 

 

 


「その名古屋弁やめてー。

田舎娘みたいだから。」

 

 


 

と言われて育ちました。

田舎娘なんだから、

仕方ないじゃないか!!

 

 



 

今では私が驚くほど、

母が名古屋弁ですが笑い泣き

 

 


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はるか昔の私と母。まだ東京にいた頃。



 

 

両親ともまったく英語は話せず

普通に公立の小・中・高校を出て

当時の普通の英語教育を受けた私。

 

 

 


高校の英語のテストで

赤点はとったことがあるけれど(汗

特別英語が得意でも苦手でもなく。

そもそも高校時代は部活に一生懸命で

赤点をとったのは英語どころではない。

 

 

 

 


ただ、いつも外の世界に興味があった。

愛知の田舎町からは絶対に出たかった。

 

 

 


 

高校で名古屋に出たら、

大学はもっと都会の、

東京に行ってみたくなった。

東京に行ったら、海外に行きたくなった。

それが私のもともとの原動力である。

 

 

 



 

そして、私は

都内の大学に入学した。

国際関係学部。


 

 

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入ってみたら、

おなじゼミの中に、

帰国子女や英語が上手な子たちが沢山いて、

英語の授業が心底嫌だった。

音読するのが恥ずかしすぎる。

 

 

 



 

そして大学といえば

サークル!

 

 




私は、

テニスサークル(通称テニサー。今は死語なんだろうか?)

に入ろうか、

管弦楽にでも挑戦してみるか、

 




 

素敵な女子大生ライフを送るためには

何がいい?!?!

と、どきどきしていたラブ

 

 

 




 

・・・そんなとき、

目の前に

ふたりの素敵すぎる女性が現れた。

 

 




 

テニサーの雰囲気とは違う、

ジャージではなくワンピースを着ていて

とても上品で

優しくて

何か気品に溢れている。。。

 

 

 



話を聞くと、

英語でスピーチを書いて発表したりする

活動をしているらしい。。。

英語までペラペラだった。

 

 

 


 

活動内容はイマイチわからなかったものの

とにかくその素敵な女性に憧れた。

私、田舎娘じゃなくて、

ああなりたい・・・。

 

 


 

 

翌日には、

そのサークルに申込完了していたと思う。

 


 

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何、をするか、というより

誰、とするか、が動機だった。

 

 

 

 


ああなりたい、と思ったら

その人の近くに行く、のは

私の昔からの習性である。

そういうときの行動力は我ながら素晴らしい。

 

 

 

 


そういうわけで、

私のキャンパスライフは、

英語スピーチ活動

が大半を占めることになる。

 

 

 


 

もちろん、授業もがんばったけれど!

テニサーにもとりあえず入ってみたけれど!笑

 

 

 

 




 

さて、そこでいう英語スピーチというのは、

何か自分の主張したいことを

7分間の原稿にして

暗記して

週末の大会で発表する、というもの。


 

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大会にはジャッジがいて、

論理構成力・プレゼン力・英語力

(発音、英語のナチュラルさなど)

などから順位がつけられる。

 

 





 

1つのスピーチを書くのに、

何か月もの時間をかけるので、

たとえ英語があまりできなくても、

いろんな先輩に直してもらったりして

書くのはなんとかなった。


 




 

そうして、入部から3か月後くらいに

私の初めてのスピーチが出来上がった。

 

 





 

初めてのステージは、

自分の大学のどこかの教室だったと思う。

 

 

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今から思えば、

聴衆は皆自分のサークルの人たちだし

普段使ってる教室だし

なんであんなに緊張したのかわからない。

 

 




 

でも、私はがっちがちに緊張していた。

 

 




 

とにかく自信のなかった私は

先輩に言われた通り、

50回は練習して本番に臨んだと思う。

 

 

 

 



 

そして自分の番が来た。

 

 

 

 



 

 

自分のスピーチを

1分くらい話したところで、

頭が真っ白になった。

 

 

 





 

聴衆はポテトと思って!と言われたけれど

一人一人がめっちゃ動いて見える。

ポテトが私を見ている。。。

 

 

 





 

数か月頑張ってきたけれど

やっぱり私の発音はおかしいし

50回も練習したのに

スピーチ文は私の頭から飛んでしまった。

 

 

 





 

ステージの上なのに

涙がでてきた。

 

 

 

 





 

はずかしかった。

超恥ずかしかった。

 

 

 





 

 

でも、これが現実。

これが私なのだ・・・。

 

 

 

 







 

そのまま情けなさと恥ずかしさたっぷりで

舞台から降りた。

 

 

 

 


 



 

そして後日、

あこがれの先輩に言った。

 

 



 

 

「50回練習したんですけど

だめでした・・・」

 

 

 






 

そしたら先輩が言った。

 

 

 






 

「じゃあ次は100回練習しないとね!」

 

 

 



 



 


私は頭をカチ割られるほど

びっくりした。

 

 

 

 





そうか、

他の人が50回練習してできることを

私は100回練習しないといけないんだ。

 

 

 





 

それから、

私は本気でスピーチ活動に取り組んだ。

 

 

 




 

スピーチを書き上げると、

50回どころではなく、

300回は練習して

本番に臨むようにしていたと思う。

 

 

 




 

超日本語英語だった発音も、

帰国子女の先輩たちにお願いして

何度も聞いてもらって、

何度も直してもらった。

 

 

 






そうして、

何度言っても言えなかった

worldの発音やgirlの発音が

だんだんできるようになってきた。

寝ても起きてもスピーチの練習をしていたと思う。

 

 




 

 


2年後、

50人以上のメンバーがいて

帰国子女も沢山いる

そのスピーチサークルの中で、

私は部長になった。

 

 


 

 


 

 



 

つづく。