こんにちは、カナコです。

 

 


さて私の海外奮闘記はじめまーす!




娘を妊娠したのが2012年末。

そこから私の海外生活はスタートしました。

 

 

結婚はしていたものの、

夫はアメリカの大学院で途上国政策を学び、

私は日本の六本木ヒルズでバリバリ働く

別居婚カップル。

 


 

が、

思いがけず夫の一時帰国中に

妊娠!!

 


 

それから、私は

退職してアメリカで産むか?

育休取って日本で産むか?

悩みに悩んで

アメリカ行きを決意します。

 


 

そこから始まった私の海外奮闘記。

その後5年間で

ネパール・カトマンズ

アメリカ・ニューヨーク

タイ・バンコク

に住んできました。

 


 

こんな波乱万丈?!な私の海外生活を

これからお届けしたいと思います。

はははと笑っていただければ幸いです照れ

 

 

 


では前置きが長くなりましたが

まず私が結婚する前の

ストーリーからどうぞウインク

 

 


 

海外奮闘記① 彼氏はアフリカ・モザンビークにいます

 

 

時はさかのぼり

カナコの新人社会人時代。

 

 


私は新卒で日系自動車メーカーに入社。

本社勤務の海外営業を希望していたのに

配属されたのは

まさかの栃木の工場七夕

 

 


憧れの本社からは遠く

現実は、

栃木弁のおっちゃんたちに囲まれ

綺麗とはいいがたい自動車工場で

人事総務として働く日々。

 


 

田んぼの中にポツンと立つ工場で

毎日鳥かごの中に入れられたような気分で

働いていました。

 


 

そんな私の楽しみは、

年に一度

海外旅行に行くこと!

海外に住む彼氏に会いに行くこと!!

 

 

 

当時の彼(今の夫)は、

新卒で海外青年協力隊として

アフリカのモザンビークという国で

働いていましたやしの木


 

 

 


学生時代からのお付き合いだったので

途上国に情熱をもつ彼のことはよく知っており

2年間離れることは寂しかったものの、

お互い新卒で働き始めたばかり。

 

 

私は日本で、彼はアフリカの孤児院で

2年間頑張ることにしました。

 

 


 

しかし、

おせっかいな栃木のおっちゃんたちに

言われるのは大抵これ。

 

 

「○(私の旧制)ちゃん、彼氏いるんだっぺか?」

 

「いますよー」

 

「どこにいるんだっぺ?」

 

「アフリカのモザンビークにいますよー」

 

「?! ○ちゃんそれほんとに実在するんか??あっはっはっはっは」

 

 

 

栃木のおっちゃん達にはよくしてもらったので

悪い気はしなかったんですが、

大笑いされる始末。笑

 

 


まぁたしかに

モザンビークの首都から

更に2000キロ離れた村に住む、

連絡すら殆ど取れない、

一年に一度しか会えない、

そんな彼氏がいる方がおかしい笑い泣き

 


 

 

でもね、

会いに行きましたよー日本から!

片道二日かけて!

片道飛行機5回のりかえて!

 


ここにいたんだなー。



 

彼は、身内の不幸などがない限りは

日本に帰国できない規則だったので、

モザンビークの国内空港で

私を見つけたときは

泣いていたんじゃないかと思います。

私は疲労でそれどころじゃなかったけれど!

 

 

 

 

2年目は、

モザンビークがあまりに遠いので

日本から(比較的)行きやすい

ケニアで会いましたが。

 


(ケニアのサファリ。ほんとすごい。)


 

時々、

なぜ私はこんな海外転々とする生活平気なの?

旦那さん残して日本で働かないの?

と聞かれることがあります。

 


 

これはなかなか難しい質問ですが、

 

たぶん私は、

私が日本で働くよりもずっと、

旦那の、途上国と子どもたちに対する

情熱が素敵だと思っているから。

 

 

 

これは学生の時から一貫していて

こうなることがわかっていて

結婚したので、

今更驚くことはあまりありません真顔

 

 

 


シリアの事務局長から

旦那に仕事の話があったときは

全力で反対しましたが。

 

 

 

そういう戦場地でなければ、

私は家族一緒に住みたいなーと思います。

たとえ私のキャリアが積めなくても。

 

 

 

案の定夫は、

今でもまたモザンビークに行きたいと

言っております。

誰か止めてください。笑

 

 

 


 

さて、話がそれましたが、

そんなわけで私の大遠距離恋愛は

2年間続いたのでした。

 

 

 

そして、その2年間が終わりかけた頃、

彼はまた、新たな野望を見つけます。

 

 

 

一人の人間が

途上国のためにできることは限界がある。

もっと大きい組織で働いてみたい。

そのために、

アメリカの大学院で修士号を取りたい!と。

 

 

 


私はそれを聞いて、

また遠距離かーー・・・

と思いましたが、


ある日突然、

結婚しようと思い立ちましたポーン

 

 

 

既に婚約はしていたのですが、

仕事に就いていない身で

結婚するのは考えていなかったらしき彼。

ある日突然の私のスカイプに

びっくりして爆笑していました。笑

 

 

 

というわけで、

彼がモザンビークからアメリカの大学院に

飛び立つまでの1か月の間に

一時帰国してもらい、

結婚式を執り行ったのでした。

 

 


 

ははは。


 

  


つづく。