訃報先月5月28日午後8時16分、父が亡くなった。まだ65歳。胃癌だった。1月5日の仕事初めにめずらしく「腹が痛い、病院に連れてけ」と言うので病院に。精密検査をして、後日胃癌と診断された。しかもステージ4でリンパ節にも転移が確認されていた。とても病院嫌いの父で、毎年の健康診断以外は病院へは行かずインフルエンザでさえも自力で治し、自慢していた←こちらとしてはすごい迷惑だった。抗がん剤の投与のため3回入院したが、自宅での療養をしていた。趣味のカナリヤ飼育や畑仕事、勿論仕事もできなく退屈な日々を送っていたが、3回目の投与後の検査ではリンパの腫れも引き、胃の切除手術の日取りまで決めようという話までできるようになった。ところが4月後半、熱がでて夜間外来に行き『風邪』と診断され風邪薬をもらい治療していたが熱は下がらず5月4日に黄疸が出たため緊急入院。原因はリンパ節が再び腫れだし、その影響で胆管が塞がれ胆汁が出なくなってしまい黄疸が出たとのこと。今になって思うのは、熱が出たのは胆管がすでに詰まっていたことが原因ではないかと。その後、『ステント』という細い管を胆管に挿入し詰まっている胆汁を排出する処置が行われたが、一本では出なくて、2本目を挿入しそれに鼻から細いチューブを入れ体外へ排出することにしたら出るようになったので担当医共々安心し、黄疸が消えるのを待っていた。ここまでの間は抗がん剤の投与は行われず、癌は進行していった。黄疸はだいぶ落ち着き5月24日私の誕生日に5月が誕生月である息子たちのお祝いのために、病院近くの「餃子の王将」へ行くことを父に伝えたら、「俺がいないときは、そういう所にいくのか!」と文句を言うほど元気だった。しかし、なぜか足が浮腫んでいた。翌25日、痛みがひどいためモルヒネの投与が開始され、意識がもうろうとしていたが、こちらからの呼び掛けには反応し、会話もできた。前日の様子が信じられなかった。この日、尿の出が悪いので泌尿器科を受診したところ、尿管が詰まっているため出が悪くその尿が浸透圧のせいで足に溜まっていると聞かされた。ここまでの間、食事は食べられず点滴による投与で1日に2ℓほどを経静脈から入れていたが、それが全て足に溜まっていた。5月26日疎遠になっていた妹家族に連絡を取り、ベッドに横たわる父と面会することが出来た。この日、MRI検査をし医者からの説明をうけたら今月いっぱいだと言われショックだったがなぜかすんなり受け入れることができ、母親もその様子だった。5月27日前日と変わらない様子だった。翌日血液検査を行うといわれ、母親がとても憤慨していた。5月28日、朝から母親は病室へ行き看病をしていた。昼食を済ませ、午後からの仕事の準備をしていたら妻から電話があり「なるべく早く病院に来てください」と病院から電話があったとのこと。慌てて病院へ行くと、明らかに父の呼吸の仕方が変わっていて顎で呼吸をしている感じだった。酸素マスクを付けられ痰や唾を吸い取る器具まで用意されていた。この日、仕事関係の方々が面会に来ることになっていたので断りの電話をいれたが、こんなときだから行くと言われ、胸が熱くなった。さまざまな方に面会に来ていただき、うなずくくらいの力も意識も残っていてみなさん「良かった」と言いながら帰って行った。母親、私の家族、妹家族に看取られながら、この日父は旅立っていった。入院中、カナリヤや畑の事で指示を受けこなしたつもりだが、父のようにはなかなかできなかった。その旨を父に伝えたが、言いたいことも沢山あっただろうけど一言「悪いな」だけ。もっと叱ってほしかった。父は65歳。まだまだこれからだった。通夜、告別式に参列してくださった方々には「まだ早い」と全員から言われた。仕事の都合で父の残したもの全てを継ぐことはできないが、会社で育てている野菜や別荘の畑はやっていこうと思っている。この1か月間、会社の僕の隣の机には父が座ることはなかったが、これからはもう座ることはない。永遠に。いかに検診が大事か。思い知らされた。父からも「行けよ」と言われた。父が存命の時に人間ドックに行き調べてもらったが、異常なしだった。これからは毎年1回は必ず受けようとおもう。