I Will Be a World Artist.
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プロローグ

           プ ロ ロ ー グ



2005年2月20日

  僕は世界的なブラッシュ・アーティストになることをここに宣言する。

  ブラッシュ・アーティスト。
  聞いたことあるかい? ないよね。僕の造語なんだ。上の写真「Dance舞」を見ればわかると思うけど。毛筆を思いっきり自由にふるって、アーティスティックにアルファベットを描くことを考え出した。その作品をブラシュ・アートと呼んでいる。だから僕は世界でただ一人のブラッシュ・アーティストってわけさ。「Dance舞」は僕が初めて描いたブラッシュ・アートなんだ。この嬉しそうな筆の走りを見て欲しい。Danceのなんと情熱的な踊り!自分で意識して筆を運んだわけではなく、勝手に筆が動いたーーそんな感じだった。
  Danceのcを他の文字より下げるアイデアは、たまたまある所で「バルカン半島における中世の写本展」という催し物があることを知ったおかげだった。中世の写本ならさまざまなアルファベットの書き方が見られるのではと閃いた。僕の勘は当たっていた。活字が発明される以前、僧院にこもった写本生たちはさまざまな種類の特色ある多くのフォントを作り出し、ガチョウの羽ペンを使って、写本の一ページ、一ページを見事な芸術作品に仕立て上げていた。そこに展示されていた多くの写本が、アルファベットのお尻は揃えるという呪縛からかるがると僕を解き放ってくれたんだ。

  どうして僕が世界的なアーティストになる宣言をしたのか、説明しないと君にはわからないよね。それに、本当にそんなものになれるのか、とも思うよね。だからこそ僕は、「なる」と大きな声で世界に向かって宣言したんだ。僕は自分の夢を公言することで、人は強くその言葉に押されて自分の目指す所に至ることができると、固く信じているから。
  「世界的アーティスト宣言」に至る長い話が、僕のロングストーリー”Can I Be a World Artist ? "なんだ。筆でABCを書き始めてから今こうやってタイピングしている時点まで、実にさまざまな事があり、インターネットを通して多く人々と知り合い、助けられ、励まされてきた。そして今後も僕の奮闘は僕の夢がかなうまで続く。プロローグでは欧米の人たちとEメールを交わすようになるまでのことを話そうと思うんだ。
  
  もともと僕には筆でアルファベットを書くという発想はなかったんだ。それはまったく先生(僕が勝手にそう呼ばせてもらっているんだ)のおかげだった。それはある年の暮れのことだった。町の書店にいた僕は書棚の片隅にあった一冊の本に目が吸い寄せられた。「自分の字で書く」。 その書道の本にはそう名づけられていた。デザイナーである先生の本だった。先生はいわゆる書家ではなく、ただ心から文字を書くのが好きで、筆や鉛筆で字を書くのが楽しくてならないというふうだった。先生は本の中で次のように説いていたーーどんなに名人上手の手跡を真似て自分のものにしたと思っていても、時間が経てば、結局もとの自分の字に戻ってしまう。それなら最初から自分の字の癖を生かして、向上させたほうがいい。

  ABCは「自分の字」の独壇場
  この小さな項目を目にしたとき、僕にとってそれはまさに天啓のように思われた。先生はーー(筆書きのABCは)専門家に確固とした評価基準がない世界です。あなたの「ABC」を、拘束されずに書くことができます。まさに「自分の字」で挑戦できる独壇場ですーーと書かれていた。
  僕は学校の習字が嫌いだった。字が下手だったから。でも、見ることは好きだった。毛筆の清廉な手跡に憧れてもいた。それで、たまたま自分に合った書道の本を求めて町の本屋に迷い込み、先生の本に出会ったというわけだった。さらに僕は、高校時代からずっと自分の才能とはなんだろうと思い続けてきた。いろいろな仕事をしてきたけれど、絶えず「これではない、これではない」という心の声が聞こえていた。
  そして僕はある時期、英語の勉強のため米軍基地で海軍中佐ハーフさんの宿舎のハウス・ボーイ(家事手伝い)をしていたんだ。ハーフさんが海軍を退役してアメリカに帰るときには、僕は家族の一員のようになっていた。現在、未亡人となったハーフさんの奥さんはひとりカリフォルニアで暮らしている。そんなわけで僕は、本当にほんの少しだけ英語ができる。
  一瞬にして先生の言葉が天啓のように思われたのは、こんな事情が複雑な化学反応を起こした結果だと思うんだ。

  初めて毛筆で半紙にABCを書いたときのあの感動を、君はわかってくれるだろうか? 本当にこれが自分で書いたものかと自分の目を疑ったよ。あんなに習字が下手糞だったのに! 半紙ばかりでなく画用紙も使って、英単語や会社のロゴマークも書いてみた。そうして、「Dance舞」も。筆を鷲づかみにして、思いっきり我流で書いた「舞」の素晴らしい出来に、胸が震えた。
  「Dance舞」はコピー機で作品に仕上げたんだ。紫でコピーした「舞」に「Dance」を重ねて黒くコピーした。このアイデアは、以前オフセット印刷の会社に勤めていたとき、印刷機を回すこと以外はなんでもやったからなんだ。それはこのときばかりじゃなく、後で筆書きのアルファベット・フォントを作ることになったときにも、版下製作するときの切り張りの技術がおおいに役立った。今考えると、グラフィックデザインでずっと簡単にできたのにと思わずにはいられないけど。

  先生が経営するデザイン会社に手紙を出したのは、本を手に入れてからよほど後のことだったと思うんだけれど、記憶がはっきりしないんだ。もちろん、これまでに書き溜めたブラッシュ・ワーク(筆書き作品)のコピーを先生に見てもらうためにね。素晴らしい文字が躍る先生の返事は驚くほど早かった。何て書いてあったと思う?「驚嘆しました」って。「日本中の書家に見せてやりたいほどです」とも書いてあった。最高の誉め言葉だよね。すぐにお礼のハガキを書いた、下手糞な字でね。その後、2、3度手紙のやり取りがあり、初めて先生にお目にかかったのは去年の夏のことだった。そのことはまた改めて話をするよ。          (つづく)