「あら、〇〇さんじゃない、お久しぶりね。」

秋の日の昼下がり、遅い昼食に出た僕は、通りで出くわした女性に突然声をかけられた。

「…ああ、どうも、こんにちは。」って、この人、誰だろう? 思い出せない。

こういう時ほど自分の頭が急回転しているのを覚える事はない。
いろんな引き出しに手を突っ込んでは、過去から現在までの情報をランダムにつかみ出してみた。が、思い出せない。

困ったぞ…。

「その節は、いろいろお世話様でした。」


僕は、この中年の女性をお世話したらしい。よく見ると、彼女はオレンジ色のガラ入りのシャツと濃いベージュのパンツをはいて、トイプードルをつれていた。
髪はショートで少し茶色く染めてる。小作りの顔で、アーモンド型の目が、笑うと少しつりあがって目じりにシワができた。なかなか魅力的な女性ではある。

「お元気そうで何よりですね…。」


などと、思い出すための時間かせぎをしていると、先を急ぐ彼女のツレがイライラして吠えた。
「ああ、わかったわよ、…じゃあ、どうも。」
彼女は一瞥して、もじゃもじゃとした相棒に引き回されて去って行った。

考えても考えても、彼女がどこの誰だったか思い出せない。まったく年はとりたくないものだ。名前を忘れてしまっても、顔を見ればその人とその人にまつわる出来事はだいたい思い出せたのだが…。

それにしても、僕はなんてみっともない返事をしたのだろう。
「…ああ、どうも、こんにちは。お元気そうで何よりですね。」なんて、野暮でまぬけな返答をしたものだ。
 

「すみません、失念しました。どなたでしょうか?」と言ったほうが無礼だけれど、正直でよかったかもしれない。どちらにしろ、僕が彼女を忘れてしまっている事は彼女にはわかったはずだ。

ではどうする?僕は考えた。

女 「あら、〇〇さんじゃない、お久しぶりね。」

僕 「ああ…、相棒のお知り合いの方ですね?実は僕達は一卵性の双子なのです。」

女 「ああ、そうでしたの。これは失礼しました。」

僕 「そういうわけで、僕達はまるでトゥイードルダムとトゥイードルディーのように似ているのです。背格好や声、ホクロの位置や歯並び・傷の跡まで全くそっくりなのです。」

女 「はぁ…。」

僕 「本当に何から何までそっくりなのです。唯一、彼との違いはあなたです。」

女 「わたし?」

僕 「そう、あなたを知っているか否かが、彼と僕を分けるただひとつの違いなのです。」

女 「…。」

僕 「どうか救ってください僕たちを。無意味なパラレルワールドを。世界は再びひとつになれます。」

女 「…それって、わたしが誰だか忘れちゃったという事ね?」

どんなにヒネってみても、救いようがない。
やはり、その人を忘れてしまった時は、「…ああ、どうも、こんにちは。お元気そうで何よりですね。」と答えるのがよい。

野暮でまぬけで丁度いい。