ども、家で自炊をするほうが太ってしまいそうな私です。

私はずいぶん前にこんなことを言っていました。

「数検と福祉住環境コーディネーターの試験を受ける」


何年も前から私のブログをご覧になっていらっしゃるかたはもしかしたら覚えているかもしれません。

ああは言ったものの、実際大学に入学してみると課題に追われてそんな勉強をしている暇はありませんでした。

今はもう大学に行かないことを決めたので、この機会に受験してみようかと思います。

数学はあまり得意ではないし、受験から時間が経って忘れていることもあり、一番最低ランクの8級(小学4年生レベル)からやっています。

このレベルは数学というより算数ですね。そう言えば、昔は文章題や複雑な面積の求め方が全くわからず、それで算数嫌いになってしまったのですが、今やってみたらものすごく簡単だったことがわかりました…。

昨日、NHKの「クローズアップ現代」という番組で『4年生(5年生)の壁』ということが言われていました。つまり、これぐらいの学年になってくると、算数の内容が抽象的になってきて難しくなり、問題が解けず算数嫌いになる子どもが増えるということです。学力テストで日本人の子どもは白紙のままにしていることが多いそうです。考えるということが楽しいと思えないのでしょうかね。

数学は答えだけがわかってもあまり意味はありません。むしろその答えに至るまでの過程が重要なのだと思います。数学における論理的思考は問題を解くという一連の過程を経ることによってのみ養われるのです。

と偉そうに言ってみたものの、私も数学の本当の楽しさを知ったのは2年前の受験勉強からで、それまではかなり嫌いでした。

数学は計算だけが出来ても解けません。それよりも重要なのは解答を筋道立てて考え、言葉で表現する能力だと思います。

そのことがわかってから、数学が楽しいと思えるようになりました。皆さんにも数学の楽しさがわかってもらえれば良いなと思います。

それではまた。
本日午後、臓器移植法の改正案であるA案が衆議院で可決された。それに伴い、他のB~D案は廃案となった。

人の生死に関わる重要な法案をなぜ十分な議論がなされない状態で通過させてしまうのか。しかも、ニュースによると4案は国会提出順にA~D案の順に記名投票で採決する予定だったが、A案が可決されたから残りの案が採決されなかったとある。なぜそうなってしまうのか私には理解できない。

臓器移植法は脳死になった人や臓器移植の必要な人や一部の医療従事者といった少数派のための法律であり、他の大多数の人間にとっては直接関係のないものである。

しかし、私たちはいつドナーやレシピエントの立場になるかわからないのである。私たち一人一人の死生観に関わる法律・法案なのだから、本来であれば世論が大きく動くぐらいの議論がなされるべきである。

ところが、実際は一部の議員の裁量で死の定義が決定されてしまうのである。

10年以上も法律を見直すことなく放っておいたくせに(改正案作成は行われていたようであるが)、海外からの要請などによって動くとは、呆れてものも言えない。改正に向けて動いたは良いが、本格的な審議を始めて少ししか経っていないのに早々にA案を可決させてしまうとは…。

日本ではまだ死がダブルスタンダードであり、これが人の死生観を複雑なものにしていると考えられる。その点で言えば「脳死は一律に人の死」としてしまえば混乱することはないだろう。

しかし、日本ではまだその考えに抵抗を示す人間も大勢いる。

それだけではない。

A案では臓器提供において本人の拒否がない限り、家族の同意で可能となるのである。もし、患者が脳死になる前に臓器提供をするか否かを決定していなかったorできなかった(子どもなど判断能力に乏しい対象者など)場合、本人の生命のことであるにもかかわらず本人の意思はないものとみなされるのである。その一例として、「親の虐待を受けて脳死になった子から親の同意で提供されて虐待の証拠が隠滅される懸念がある」ことがよく挙げられる。

このことで私が思うのは、意識のない人や子どもの権利というものはどこに行ったのだろうかということである。自分の生命は本来自分のものでしかないはずである。そうであるならば、当然本人の意思が優先順位の一番に来てしかるべきだ。しかし、脳死になった患者の意思が明確でない場合、肉親であっても別人格である家族の同意によって臓器提供がなされる、つまり本人の意思よりも家族の意思が尊重されることになってしまう。

また、乳幼児は脳の回復力が強いため脳死判定が極めて難しいことも問題点として挙げられる。ただ、これは他の国においても同じ条件であろう。今後、日本で乳幼児の脳死判定を正確に行えるだけの訓練を受けた医師が増えればこの問題は解決するのかもしれない。

以上のようなことが十分に論議されるべきである。この法案に関しては慎重に議論を尽くしてから成立させても遅くはないと思う。

しかし、今まで海外で移植を受けざるを得ない子どもたちをニュースで見ていて、これもおかしいことだとは思っていたので、日本の患児が国内で移植を受けられるようにするというのは当然と言えば当然かもしれない。



A案だけに問題があると言っているのではない。他のB~D案のいずれにも問題点はある。私が腹立たしいと思うのは、今回のような審議・採決のしかたである。非常に不誠実極まりない。

今国会で成立するかは不透明であるとの見方もある。今後の動向に注目しなければならない。

これを機会に、もっと臓器移植法改正に関して巷でも活発な議論がなされることを願っている。




この空を見上げるのは あとどのくらいだろう
見上げる君に手を振って 笑う日はいつの日か


君と過ごした記憶が 僕の全てになる
君ともっと生きたかった 君を支えたかった


一緒に秘密を抱えてくれた君を 僕は忘れない
何を知ろうと変わらぬまま そこにいてくれた


君を愛してよかった
めぐり逢えた それが嬉しかった
最後に愛した人が 君でよかった
君でよかった


不安の海に溺れて 僕はうずくまった
もう一人じゃ抱えきれず 誰かに甘えたかった


近くにいる人なんて いくらでもいるのに
なぜか君に会いたかった
君が恋しくなった


君の一言で 僕はこんなに笑顔に戻れるから
今起きてることすべてが 夢ならいいのに…


君が優しすぎるから 僕はいつもここで泣いていたよ
君は繰り返し言った
大丈夫だよ
大丈夫だから…


笑顔がよく似合う 君が好きだったから
いつまでも笑っていてね 空見上げて


運命の相手が君だったら…って 何度も思った


君を愛してよかった
空の彼方 片思いしてるよ
願うのは 早く君に
こぼれ落ちる涙が消えることだけ…


笑っていて 僕の愛する人よ



柴田淳/君へ