「テレサ」の看護師、理学療法士、作業療法士、事務員に至るまで、「生きること」「人間としての尊厳」を大切し、利用者様やご家族に寄り添った看護、リハビリを提供しています。
みなさんこんにちは。相変わらず暑いですが、朝晩は涼しくなりましたね。さて、糖質制限まだ続行中です。なんと、体重が8kg減りました。血圧も130台になり至って快調です。目標あと5kg(U)
みなさんこんにちは。 残暑です。暑いです。先日健康診断を受診しました。身長171cm、体重82kg。HbA1c8.2、空腹時血糖値127、γ-GTP97医師曰く、「糖尿病ですね。このまま放置すると壊死や眼底出血で失明の恐れもあります。お薬飲みましょう」とあっさり 糖尿病です。それはそうでしょうよ、昼にはラーメンチャーハンてんこ盛り。夜はハイボール5,6杯。ごはん大好き、粉もの大好き、甘いものには目がないといった食生活です。さて、かねてからノードラッグで生活してきましたか治療のためといえども薬は飲みたくない。どうしようかと考えた挙句、糖質制限に行き当たったわけです。まずは「スーパー糖質制限食」というとにかく食事や間食事に炭水化物、糖質をゼロにしてみることから始めました。朝のメニュー:味噌汁(イモ類はタブー)、納豆、目玉焼き、野菜(マヨネーズはOK)、ベーコン2枚昼:から揚げ3個、豆腐、アーモンド8粒夜:肉や魚を欲しいだけ、ハイボール5杯のようなパターンでやり始めました。生活にわずかでも運動をと考え、自転車で10kmほど走ることも付加します。8月2日より開始です、今は8月25日。さて驚きの結果身長171cm(変わらず)、体重76kg、GA(A1cと同様の検査)12.6、γーGTP43なんと体重が6kg減、さらに驚きはγです。酒の量は変わらずというかむしろ増えていますがこの数値です。頭かしげます。日常生活の中でもいろいろと変化が。まず、昼寝を欲しなくなったこと。仕事にたいして集中力が増したこと。空腹感があまり感じられず、何を食べても本当においしいと感じること、口腔内が汚れない、などなどです。糖質制限に関しての本も読み漁っています。宗田哲男先生の「ケトン体が人類を救う」は糖質制限の仕組みがよくわかる本でおすすめです。糖質体質からケトン体質へ変えることで人間の持っている体の働きを正常にすることができそうということでしょうか。糖質制限は簡単です、炭水化物や糖類、果物、牛乳など糖を含むもの、糖になるもの以外は何を食べてもよい、肉でも野菜でもです。実に簡単です。私たちは食に関してどんな条件付けをされてきたのでしょうか?ご飯はエネルギーの源だから食べなさいなんて一度は聞いたことがあるはず、米=日本人、大名だって石高(米)の支給を受けて生活していた。正確には米を売って現金としていたのですが。ところが大都市にあまりに多くの米が出回るものだから、町民も米を食うようになった。明暦の大火(1657年3月2日)あたりまでは日本人の食事は朝と晩の2食だった。それが焼け野原になった江戸の復興のため職人がフル稼働で働いたものだから、腹が減る、じゃあ昼も飯を食えって3食になったといわれています。そもそも昔はおかずだってろくなものがない、だから腹いっぱい飯を食ってもすべてが体内で使われる。過剰にならなくて済んだわけです。現代人は腹が減るから飯を食うというよりも時間が来たら食事をとるというふうになっている。欲しくもないのにとりあえず食べる。食べてみればどんどん入るっていう人も多いんじゃないでしょうか。今の私の体の中は、脳みそが「早く糖を送れよ~」とさけぶと一生懸命に糖を探しまくるわけです。だけどない、肝臓のグリコーゲンも乏しくなった、さあどうしよう。そうだ脂肪を糖に変えて運ぼうってことになる。そこでケトン体という物質が登場する、脂肪酸を分解して糖を作る。肝臓は肝臓で余分なものを蓄積しなくて済むので、アルコールの分解に専念できるってことじゃないんですかね。何はともあれ目標の60k台まで頑張ってみようと思います。(う)
みなさんこんにちは。相変わらず暑い日が続きますが、朝晩だけは秋の気配が漂っていますね。高校野球もいよいよ決勝です、広陵の中村君すごいですね。プロでの活躍ももうすぐでしょうか。さて、息子が剣道を初めて2年ほど経ちます。この間に試合や練成会にも何度も参加させていただきました。なによりも本人が一番やる気になっていることがうれしく思えます。という私もちょうど息子の開始時期に初めました。56歳の手習いということになります。先日夏の練成会がありまして、そろそろ初段の審査を受けてみないかといわれました。初段!!私にはまだまだと思っていたものの、とりあえず作法や剣道形をやってみようということになって、昨日先輩の剣士から教わりました。その際になぜその動作や型が必要なのかを詳しく教えていただき、なるほどな理にかなっているなと思った次第です。私は物理が好きで、剣道の打ち込みや剣さばきを力学的に観察して息子に教えていましたが、ただ当てるという動作では剣道の世界では1本にはなりません。なぜなら、根底には相手を一撃で倒せるのか?また、気迫が込められていたのか?さらに、切った後(打った後)の残心と呼ばれる動作がされていたのか?ということが査定されるからです。剣道はスポーツではありません、剣の道、すなわち生き方が問われるのです。どんな手段を使ってでも相手を倒せばよいということではなく、相手への思いやりや感謝、そして美が伴っていなければ可としないのです。それは古より、護身ではなく相手を殺すという戦場の価値観が伴っているといえるのです。そして、なによりもそれは日本人としての美意識の追求に他ならないのです。剣は人を殺す道具だから慎重に扱う=竹刀も同様。小手や面、胴は鎧なのだから大切に身なりよく身につける。たとえ試合に勝っても大声で喜びを表現したりしないのは負けた相手が目の前にいるからです。彼の無念さを感じれば自分だけハッピーにはなれないでしょ?というのが日本人の魂でしょう。いやいや、この先が楽しみです。(U)
みなさんこんにちは。相変わらず暑いですねぇ 今日は36℃にまで上がるらしいです。外で飼っている我が家の愛犬ゲンキも今日は冷房の効いた部屋に搬送され、快適そうにしています。さて、最近のAIの話。将棋や囲碁の人工知能はもはやプロをもまかしてしまうほどに進化していることはメディアの報道で周知のとおりです。私もアイフォンを持っていますが、その中のSiriも簡単にいうなら人工知能です。人工知能のテクノロジーは日々進化しており、AIが仕入れる情報はネットから引っ張っているらしいですね。ですからあらゆる言語、あらゆる思想、あらゆるささやきにも耳を傾け(耳はありませんが)ているとのことです。情報をどうやって取り扱うかの方法も進化を遂げているのです。そこで例えば 「南京大虐殺」などは、ウィキにあるような古ぼけた情報ではなく、我々が気が付き始めている真実の姿を伝えることになるのです。「ホロコースト」は「捏造された数」といった具合に。「東日本大震災」は「・・・・人工地震」など出てくるのでしょうか。「9.11」などは「茶番に過ぎない」とかね。そういった中で我が国の評判といいますか、世界での評価はどうかといいますと。「美しい国」「もう一度行ってみたい国」「礼儀正しく人にやさしい国」といった具合になるそうです。世界中でCIAやKGBなぞの諜報機関があるわけでもなく(あるかもしれませんが)、悪く言えば「お人好しの国家」なのです。古より、温厚で人情深く、礼を重んじる文化は生粋の日本民族にとっては当たり前のことなのです。しかし、似非日本人はたしかに存在していて、ともすればこの国を貶めることしか考えていない輩もいるわけです。例えば、国会議員の中にも国費である報酬を受け取りながら、天皇制を批判し、やれ韓国に謝罪しろ、中国に詫びろなど。東南アジアは朝鮮とシナしかないのですか?といいたくなる。われわれが世界の中で人としての規範であることはネットを吟味すればわかりきったことです。50年後、世界はどうなっているのでしょうか。(U)
みなさんこんにちは。今日の沼津は比較的涼しいです。梅雨明け宣言が出てから本格的な梅雨のような気候が続いています。先日健康診断に行ってまいりまして、糖尿病予備軍のレッテルを張られました。日頃よりメタボを自認しておりましたが、この機会に体重を減らすべく炭水化物の摂取量に気を遣ってみようと思っています。さてさて、私たちは手にすることができるものや身近にある現象などは学術的にもその仕組みやら原理をアカデミックに解明しております。物理や数学を当てはめていけば道理を理解できますね。ところが宇宙で何が起こっているか?などについてはもうお手上げです。宇宙物理学者の関心は100年前ほどまでは太陽系にとどまっていたようですが、最近では太陽系外のことに夢中だとか。ブラックホールやら宇宙の膨張やら、ダークマターやらに興味がおありのようです。そもそも世界の宇宙物理をけん引しているのはNASAでしょうし、権威はかつてのカール・セーガンみたいな方々のようで、かれらが「うん」と首を縦に振らなければアカデミズムの世界では通用しないことになります。ところでそういった世界的な権威が今の今まで1度としてミスを犯したことはなかったかと考えれば、「天動説」などなど人権を迫害してでも権威にしがみつこうとした苦い経験がありますね。権威はそういったアカデミズムにそぐわないものを似非科学として社会から排斥しようとします。現代でも、ナシーム・ハラメイン博士、イマヌエル・ヴェリコフスキー、スティーブン・グリア博士、シッチンなどなどいかがわしい科学者といわれる方はたくさんいます。人間は過去にいったことを修正することが大の苦手です。構築された理論を根本的に変えなければならないからです、嘘とは言いませんが嘘を上塗りしてそれがばれたらだれからも信用されなくなるし、社会からつまはじきにあいます。一昔前なら簡単に情報操作できたものが、インターネットの普及、ツイッター、フェースブックなどから容易にはいかなくなってきています。半面その情報を取り扱う側の感性が問われます。自分にとって有益なものだけを故意に取り出し拡散することは社会悪になるだけでなく、混乱を招く結果になります。既存のものが必ず正しいとは言えないことを念頭に置いて、自身での吟味が不可欠になります。モチベーションは「なにごとも信用しない」という懐疑心です。懐疑心というと人間への信頼も疑うのかといわれそうですが、それは違います。あくまでもメディアや書籍にある情報を疑ってかかれということです。私たちの情報の篩(ふるい)の目が細かければ、真実に近い情報しか残らなくなるからです。政治の方向性はなんでしょうか?世界が何かに向けて突き進んでいると感じるとします。元にあるものは「お金の流れ」なのではないか?(U)
みなさんこんにちは。暑い日が続きますがご自愛ください。さてさて、テレサも4年目に入り業務量も増えてきまして、去年の12月より看護師の募集を求人誌紙面ならびにネットで行っている状況ですが、応募すらないのが現状です。静岡県の東部の看護師の絶対数がすくないこと、訪問系は大変だというイメージ等々の原因が考えられます。私たちは利益至上の企業型の訪問看護ステーションでは決してありません。患者さんに寄り添う看護を実践しています。業務量は決して多くはありませんし、時間外はほとんどありません。病院やクリニックでの勤務よりも患者さんに関わる度合いは非常に大きいと思います。そういった濃厚な人間関係が苦手な方は決してできない仕事です。あなたが看護師さんであるなら、「なぜ看護師になったのですか?」という質問にどのようにお答えになるでしょうかを私たちは一番に大切にしています。確かにお金も必要、自分の時間も必要です。いろいろな条件から看護師という職業を選択されたに違いありません。訪問看護師は看護というスキルだけでは不十分です。どのような職種もそうかもしれませんが根底にあるのは「・・・」です。拙ブログをお読みになった方が看護師さんであるなら、またお知り合いで看護師さんがいらっしゃり、興味がある方は是非下記をご覧なってください。https://townwork.net/detail/clc_1132867001/?opf=A上記は静岡県沼津エリアでの募集記事ですが、遠方より沼津に移転していただける方には転居費用の大半を負担させていただきます。伊豆の窓口沼津、海と海産物と富士山を一望できる街で人間らしく自己実現してみませんか?(U)
みなさんこんにちは。沼津は日曜からジメジメした梅雨の気候に入りました。さて、いきなり「宇宙人」とは?少なくとも私は冷静です。宇宙人は存在するのか?の問いに、皆さんならどのようにお答えになるのでしょうか。昨今のネットソースの凄まじさにあって嘘か誠かを精査するのも相当な労力を必要とします。CG技術の発達で素人でも画像の加工が容易にできるようになりましたし。情報操作という言葉をお聞きの方は多いと思います。9.11にて世界レベルの情報操作がされていたことは周知のとおりです。3.11しかり、イスラム国の残忍な処刑シーンなど。TVの画像は何らかの検閲を経て流されています。ネットの力を食い止められないアメリカは法にって、言論の自由を束縛しようとしてきています。ひそひそ話もできない閉塞感がトランプ氏の当選にいたったのでしょう。しかし、トランプ氏支持さえ大声で語れない。自由の国アメリカは不自由極まりない状態だったといわれています。個人の情報を事細かに誰かに握られているのは、個人情報の保護とは個人間の情報保護のことであり、国や大きな勢力が握ることは問題がないということなのです。マイクロチップの埋め込みなどもはやペーパーのレベルではなく、思考すらも当然管理されているはずです。さてエリア51というキーワードをもとに、スティーブン・グリア博士などエイリアン、UFOに関してはもはや疑いようのない実在が示唆されています。このことでかの大槻教授も反論さえできない状況です。確信を持って言えること、宇宙はとてつもなく広く、我々地球人が知らないことの方が多いということです。たかだかどんなに多く見積もっても1万年の歴史しか有さない地球人にとって、幾万光年というとてつもない数字は計り知れないものです。我々の認識する太陽系はわずかここ百年でいろいろなことがわかってきているに過ぎず、我々が宇宙の中心だという偏狭な認識しか持てないのは、教育という洗脳の結果とらえるべきだと思うのです。もっというなら、我々の星以外に注意を向けるとNASAという権威が立ち塞ぐのでした。では、どうすれば我々のルーツが自分の内面的に認識できるのでしょうか。それは宗教という内面に向けての方法をとるという一つの方法。私の中の小宇宙という漠然とした表現ではなく、いかなる洗脳から自由になるためには、否定の嵐しかなく、これも真実ではない、あれもまた然り、真実とは何かを探求する以外にないと思います。悟りというものは、これで良いというものではないはず、悟ってしまえばそこで終わりというものではないはず。だから、私は成熟した宗教やイデオロギーでは不十分だと思うのです。だって、悟りを共有はできないでしょ?宇宙が無限であり、膨張している?慣性の法則では膨張も等速直線運動をするはず、けれど加速度を伴って膨張しているのはなぜ?そのエネルギーの源はなんなの?物理法則も書き換えられるのです。深遠な学問なんかじゃないのよ。普通に生きて、なぜ?って思えばその答えを見つけようとしなきゃね。誰かを好きになる、人でも動物でもなんでもいいから愛情を感じることがとても必要だと思うんだよね。頭で考えても考えつくことでもないし、どうせ自分の利害で良い悪いを判断してしまっている以上、何も生まれないんだし。私は私のルーツを宇宙に求めることにしました。私も宇宙人なのだし。(U)
みなさんこんにちは。気は心、病は気から、目は口ほどに物を言い などなど気に関する格言などは大変多いですね。最近、量子力学に関しての入門書を読んでいました。シュレーディンガーの猫など耳にされたことのある方も多いかと思います。電子(光)というものの正体は、波?粒子?といった議論がここ150年ほど物理学の世界では議論されてきました。波であると主張する学派はその根拠を示し、粒子であるとするものもまた立証してきたのです。ところが、その両方の性質をもつものと結論でけられたのです。すなわち、電子(光)は波でもあり粒子でもある、言い換えればその両方のものでもないということ。私が最も興味を持ったのは、電子は観察者に影響を受けるということです。どういうことかといいますと、観察者が発する電気的性質に影響を受けるので、そこにあるものがそこにないということが起きるということです。私たちはただ椅子に座っているときも、体からなんらかの電気的性質のものを放出しているのです。普段の生活ではあまり感じないでいることの方が多いのです。しかし、何かの拍子に次に起こることが感じられたり、誰かのことを想った瞬間にその人から連絡が入ったりすることがあります。それは偶然でしょうか?今、物理学の中に精神物理学といえる研究をされている先生方もいるとのことです。簡単にいえば私たちの体内で起こることもすべて、電気的な作用で起こっているのですから不思議なことでもない気がします。気功や座禅などはエビデンスの得られない技法とされた時代ではないのです。祈りは必ず届いているといえそうなのです。私は宗教人ではありません、何かの宗教に傾倒しているとか特別な信仰を寄せているわけではありません。この宇宙のすべてのものがプラスに向くことを祈りたいと、私は思いました。(U)
みなさんこんにちは。今朝は寒さを感じないで起きられました。河津桜も今が見ごろです。さて、井口博士のブログからです。50年前にユダヤ人から聞いた話 福岡正信おそらく1950年代に福岡さん自身がユダヤ人から聞いた話だと思われます。福岡さんといえば、自然農法の神様、砂漠化改革など世界中に農業の何たるかを流布した人物です。この話の中で、「世界人類牧場化計画」がまさに脈々と進行していたのだなと納得させられる話がたくさんあります。「三百人委員会」「ビルダーバーグ会議」など私が読んだ頃は、本当なのか?と思うところは多々ありました。その時、今から8年ほど前は、こんなことがあるかもしれない程度の認識が、その後の世界の動向を観察していくと、ああなるほどに変わり、最近では世界のトップニュースも信用しない、政治や経済についても裏に何があるのかについて考えるようになった。もちろん、テレビの実にくだらない番組は一切見なくなった。芸能人のだれだれが結婚して、妊娠して、出産して、離婚してなどどうでも良いことなのに、ヤフーのトップを飾ることに憤りを感じる。もっと真剣に考えなきゃいけないことがあるんじゃないかと、話してもエビデンスがないといわれる。本来なら、各自がネットを駆使して、事の真相を探求すべきなのに、オークションで一円でも安く落札することに興味があっても、私には関係ないというスタンスを崩さない。確かにネットの恩恵で、20年前よりはましになっているのかもしれないが、いまだに自分たちの社会の問題としての受け止め方が薄いのではないかと思う。年齢や学歴、性別に関係なく、世の中の仕組みや、自分のルーツについて興味をもつような教育はできないものか。戦後の教育はその真逆で物質的な豊かさを追い求めること、経済的な富が世の中の象徴で、崇拝する教育であったような気がしてならない。貧乏くじを引かさないために親は我が子をしかりつける、進んで貧乏くじを引かせてでも、誇りだとか名誉を捨てるなとは誰も言わなかった。だから、自分のことにしか興味がない、周りや社会のかかわりなどに目がいかないといった子供が増えた。(う)
みなさんこんにちは。昨日の春の嵐はすごかった。電車は止まるガラスは落ちるなど、静岡県東部地区でも損害があった模様です。さて、本日は歴史というものについてです。歴史=history というものは文字通り、His story なのです。そうです、「彼の物語」なので、彼=独裁者、為政者、君主などなど、すなわちその時代に最も権力を有している人の物語になります。欧米などは権力者が変われば、すべてが変わっていたわけです。シナもそうです。日本人にとっては he = 天皇 と考えがちなのですが、そうばかりではありません。そもそも天皇というものは神なわけですから、自分のちっぽけな野望で民や富を自由にするわけではありません。世界の創造以来、脈々と流れる量子学レベルでの見識を今に伝えるのが神道であり、我が国の歴史というものです。このことは世界の国家レベルで考えても非常に稀有なものです。1+1=2にしかならない西洋の哲学からすれ ば、わが日本では-1になったり、その時は0でも後世では100にも1000にもなることが多々あるのです。その根底にあるのは目先の1+1=2ではなく、「千代に八千代に」「さざれ石の」の精神、すなわち皆が永遠に幸せでありますようにという精神です。(U)
みなさんこんにちは。花粉が飛散し始めました、吾輩は年齢とともに楽になってきています。自分では 「人間としてのずうずしさ」>アレルゲン反応 とみています。さて、本日は私たちがどれだけ宣伝に洗脳、騙されているかということ。ネットの威力で、マスメディアの親分のTVの影響力は随分弱まってきたと考えます。(因みに家ではテレビを観ない)そして、人間の情報に対するいい意味での垢抜けがあり、ワーッと盛り上がった情報でも必ず、何らかの形で精査しているように思えるのです。先日の北のぼんぼんの暗殺劇も、お昼のバラエティーでそれらしい顔して語る某大学教授の半島の方も言っていることは理解できるけど、そう発言することの意図まで考えてしまう。話し方やしぐさ、表情を見れば信頼できるかどうかまで見通せるんじゃないかとさえ思えてします。ご存知のとおり、世の中は宣伝広告であふれている。だいたい世の中でああだこうだと騒いでいることって、必ず裏があると見たほうが良い。先日読んだ本の中に、日本の外交は歴史において最強だったというような記述があったが、そうだ、確かにそうだ。かってのシナに対して、同等の立場で外交にあたっていた。何でも自由になると勘違いした元の一撃にも(というか元が現況ではなくて、半島の先導役がいたのですが)見事に国を防衛している。しかし、いつの時代か、日本は劣勢に立たされてくる、というか劣勢に立たされているかのように情報操作されてしまう。右翼の運動(宣伝カーなど)の大半は日の丸、天皇至上ではなく、その逆の運動であることなのです。彼らの運動から一般的な人が受ける印象はどうか、それはニッカポッカはいた国粋主義者の下劣な行いに対して日の丸を掲揚する気になれなくなるだろう。そう、彼らの役目を理解すればそれが誰によってどんな目的でなされているかを考えるようになる。世の中の大半が「金の流れ」をつかめばわかる。さて何が言いたいのか、それは情報というものはいつの時代も誰かにその目的によって操作されてきたということです。(U)
みなさんこんにちは。朝はまだ冷えますね。さて、ごく当たり前の話なのですが、どんな社会にもルールというものがあります。明文化されているものや暗黙の了解的なルールなどです。明文化されているものは憲法や民法といった法律などから、図書館利用上のルールのようなものまで。暗黙のものとして、「場の空気」など人としてすべきでないといったものです。今回私が言いたいのは明文化されているもの、すなわち告知されているものです。最近、生活保護受給者の方と知り合いになりました。生活保護とは文字通り、何らかの理由があり、最低限の生活も営めない方を救済する措置です。保護を受けている方は、一時的に就労ができなかったり、肉体的に働けないため長期的な受給を受けざるを得なかったりする人まちまちです。その方は就労できない状態のかたです。先日、町で車を運転するその人を目にして、「生保って車の所有は可能であったか?」と思い調べましたら、特別な理由を申請していない限り財産にあたる車の所有は認められていないとのこと。車を所有するほど保護費も出ないし、任意保険やその他の費用を考えれば当然維持できないはずです。また、他人の車を運転することへの制限もあるようです。このことは、貸主が任意保険に加入していない、加入していても保険担保として借りうけ人が該当しないなどの理由で、事故を起こした場合、賠償能力が問われるからです。さて、私が何を言いたいかといいますと、世の中、「~をすれば…のような措置が受けられる」「~をしなければ・・・は受けられない」とルールを解釈する風潮があるということです。「~さえしなければいいのだろう?」と権利を主張するだけで、「あなたの中に誇りだとか名誉だとか、根本的な人としての価値観はないのか?」ということです。われわれ日本人はそういった魂をとても大切にしてきたし、それが人を動かしてきたのではないかということです。1+1=2にしかならないのに、1+2を3にも4にもしようなんて考える輩が多すぎるのでは。(U)
みなさんこんにちは。最近は寒さにも慣れてか、「寒い」の連発はありません。バイクで片道10kmの道のりを通っておりますと、自然と肩に力が入っていることに気が付きます。先日剣道のお稽古で先生から、下半身に力をため、上半身はリラックスと教えられました。丹田という場所・・へそから2、3cm下のあたりに意識を持っていくとのことです。先生の構えは崩せないと思えます、なにかどっしりとした山にむかっているような・・・さすが7段。出張が重なって、お稽古に行くことも大変ですが時間が許す限り参加しています。だから、床にはいるとすぐに朝がやってくる感が非常に大きいのです。そういえば若いころもこんな感じだったような。夜10時まで起きていられない、小学生のような生活です。「酒はうまいし、姉ちゃんは綺麗だぁ、ふぁふぁふぁふぁ~ん」ちなみに家には姉ちゃんはいません、おばちゃんのみです。いや、失礼。(U)
皆さんこんにちは、寒いですね。土曜日には寒波がやってくるそうです、ご自愛ください。さて、例の井口先生のブログより引用です。我が国がお隣にお貸ししたお金の明細です。私が一番びっくりしたのは、我が国はとてつもなくお金持ちだなぁ~ということです。安倍さんの第二次内閣が発足してから、韓国以外にもとてつもない金額の支援があります。けれども支援を受けた国々の人々は「日本には大変お世話になった、だから何かの形で恩返しがしたい」と言ってくれるのです、がお隣はどうかというと、皆さんご承知の通りです。お金の問題にだけスポットをあてるのは好きではありませんが、この国の老人福祉の問題、教育や雇用、困窮者世帯の問題のさまざまが、「どぶに捨てた金」がどんなに役立つだろうかということを考えるといささか腹立ちします。上記の内容を精査したわけではありませんが、国会などで議論されない(されているのかもしれませんが)のは???です。隣人と昔からうまくやる、町内の問題は町内で解決するといった協調性のある国民である我々も、天と地ほどかけ離れた価値観を有する民族にたいしてもはや隣人の姿を見出すことはできないのではないかとさえ思えます。借りたものは返すのが人の常なら、もはや人とは呼べない のでは?(U)
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。皆さんお正月はどのようにお過ごしになりましたか?仕事の方、実家でゆっくり過ごされた方、スポーツ観戦に行かれた方、さまざまなお正月だったことと思います。私は1/3に富士宮の浅間大社に初詣に行きました。その帰り道、山宮神社へ。上の画像はその山宮神社から見た富士山の姿です。山宮神社とは1900年前より富士山の元にある神社で、神殿を持たずご神木があるだけです。山宮は文字通り山の宮、浅間大社は里宮と呼ばれているらしいのです。浅間様は山宮と里宮からなっているのです。霊験豊かな山道を上っていくと、石に囲まれた場所に、遥拝所と呼ばれる富士山を拝む場所です。画像はここから撮ったものです。もともと浅間様はこの場所にあって、現在の浅間大社に移転になったと文献にもあるようです。皆様に気軽に参拝していただけるようにという思いがあるのでは。改まった年に、心洗われる一日でした。(U)
みなさんこんにちは。沼津も梅雨入りとなりました。寒暖の差が激しいこの時期、自律神経の働きも鈍るようです。さて、先日友人と会い、雑談していましたら、話題が変わるたびにスマホの写真を見せられます。随分とマメに撮影しているらしく、どこどこでおいしいものを食べたら必ず画像に収めるといったことをしているようです。私も一応スマホを使用していますが、そんなにパチパチは撮りません。友人にしてみればそれが話題作りになり会話がスムーズに弾むと考えているようです。確かに話だけではなく画像があれば理解も早いのはわかりますが、なぜかそれが記憶に残らない。面白おかしく話してくれた方がイマジネーションも広がる。普段と異なる面白いことが世の中には落ちていることも理解します。けれど、なぜかテレビを見せられているようで味気ない。同じことがメールやSNSにも言える。同級生のグループに参加して、頻繁に発言を受信する。見てみればさもないこと、グループで発言しなくともいいようなことなのです。設定によって受信のお知らせは省けるようですが、そこまでして繋がっている感を得たいとも思いません。みんな元気でやっていてほしい、自分らしく生きてほしいと願うばかりです。私は決して時代に鈍感な人間であるとは思いませんが、流行を盲目に追い求めることだけは避けています。利便性などを考えれば、先端技術を利用したほうが便利なのかもしれません。会社や組織においてはスピードを要求されますのでどんどん取り入れています。けれど、個人的には情報に振り回されたくない、静かな時間を過ごしたいと考えています。先のデジカメも目の前のおいしいものも目と鼻と舌で十分満喫して記憶にとどめ置くことだけで十分だと思います。私はバイクに乗ります。よくバイクの魅力はと尋ねられます。私は「風を感じ、匂いを感じ、季節を感じ、生きていることを感じられるから」と答えます。最新バイクはコンピュータ制御で電子の世界のものですが、外気と遮断されることはなく、夏は暑く、冬は寒い、むき出しでの運転には車以上に細心の注意が必要です。運転中に体に入ってくる情報の多さは車の比ではありません。速度が増せば増すほど五感を研ぎ澄ますこと必要です。荷物が載らない、2人しか乗れない、雨の日は濡れる、不便な点が多い乗り物です。爽快さを得るために便利さを捨てて乗る。 爽快さ>便利さ なのです。利便性の中毒になる前に自分のライフスタイルがどうなのか?を自問してみるべきです。私は情緒だとか、心の豊かさだとかを大切に考えます。
みなさんこんにちは。すっかり初夏です。そうめんのおいしい時期になりました。最近の報道で都知事の問題が多く取り上げられています。私が舛添さんという人を初めて知ったのは「朝まで生テレビ」の番組でした。その時の印象ではとても頭の切れる人だなという印象が強かったと思います。討論では相手の先手先手を取って論破していく、相手が言葉に詰まった瞬間にとどめをっていう感じでした。そしてもう一つの印象は目つきの厳しい人、という印象です。顔で笑っていても目は決して笑っていない、眼光から発せられる威圧感がものすごいなぁと思っていました。先日の記者質問の際も昔と同じように頭を下げているけれども、眼光は「そうは言っていない」という印象を持ちました。悪く言うなら、「なんで俺がここまで頭下げているんだから、しつこいんだよぉ~」とでも言っているかのように感じましたね。確かに頭は切れる、回転はすこぶる速い、 相手が何を望んでいるかをすぐさま感じられるというようなすごさをお持ちである。ただ、何かが足りない。なんだろう?と考えたときに、心がない、思いやりが感じられない、言葉だけありきといった感じです。確かに東京の首長として最後まで威厳というか面子を保ちたいのはわかるのですが、どこか一般庶民を馬鹿にしている感が強い。だから、心が伴わない。日本人の潔さ、礼節をもってすればスウィートも必要ない。正月に会議?家族サービスしなさい!申し訳ありませんが、終わったようです。(U)
みなさんこんにちは。私たちの家庭でテレビを見なくなってから1年ほど経ちましょうか。テレビは2台ありますが、ほとんどついていたためしがありません。夕食はだいたい息子と女房と3人でいただきますが、テレビがないおかげで会話が弾みます。食事が終わって、各自が好きなことを始めますが、宿題をやってる息子の隣でネットサーフィンをしている のが常になりつつあります。お気に入りのブログの記事に目を通し、関連用語を検索していきます。(最近は国史に関することが多いのですが)ここで気を付けていることは、「必ず相反する意見にも目を通す」ことです。だいたい、自分が都合のいいところばかりに目をとられていると、真意が見えてきません。そしてもう一つ気を付けることは、「記述の転載に気を付ける」ということです。書かれていることのソースが皆同じだということが結構ありますのでここは要注意です。こうやって次々とリンクしていくと、一つのテーマの詳細がかなりのところまで見えてきます。ネットサーフィンは私にとっては学校みたいなものになっています。性格上、今日はこのテーマ、明日は・・・というようなことができないので、一つのテーマが納得がいくまで続けます。時にはネット上ではどうしても手に入らない情報は紙のメディアを購入したりもします。こうやって自由な時間を過ごすとあっという間に時がたってしまいます。眠くなったら、ゴロンと横になってアイパッドを横向きにして、囲碁の対戦のyoutubeを観戦しながら、気が付けば朝、という毎日を送っています。ネットの恩恵に感謝、感謝です。(U)
みんさんこんにちは。ブログの更新は久しびりです。テレサも2年の歳月をかけ、やっと経営も安定化しようとしています。理念を全うすること、利用者様を家族のように思うこと、介護事業はのみならず、誰にも感謝の念を抱くことを実践してきたおかげだと感じています。ありがとうございます。さて、最近つくづく感じることがあります。それは我々日本人とは何か?ということです。先の反日運動など日本たたきの風潮があったことは皆様も感じていることでしょう。そういったさなか、果たしてわれわれ日本人が韓国や中国などから受ける批判が歴史的事実にもとずくものなのかを自分なりに考察してきました。その結果は言わずと知れたとおりです。われわれ日本人の海外での行いは、自国の利益のみならず、民族の開放、植民地化へ反旗的な活動であったことがわかります。アングロサクソンが優位であるという世界的なプロバガンダに真っ向から立ち向かった有色人種であり、かの大戦でも弱小国の我が国が国民を上げて戦いぬいたのを最も驚嘆したのは、アングロサクソン人だったわけです。とかく、私たち(56歳になりますが)が受けてきた教育の中に、敗戦国の国民であるという後ろめたさを植え付ける要素が多分にあったのではないかと感じます。私が青春期の時には、アメリカの映画やスポーツグッズが飛ぶように売れ、その製品を手にした時に自由の国アメリカを強く感じたものです。スポーツの世界大会においても、長い脚の金髪の白人が活躍するのを目のあたりにし、短足の日本人はカッコ悪いといった劣等感を感じたのは私一人ではないと思います。こうやって、私たち日本人は対白人に対しての劣等感を増大させ、軍国主義の匂いのするものを避けるように教育されてきたのです。けれども、東南アジア諸国、欧米諸国から私たち日本はどのように見られているのでしょうか?ネットで検索すればすぐにわかります。日本人の持つ没個性は日本人の極めてまれな特性であると誰もが感じています。何を考えているのかわからない、目は口ほどに物を言い、ただうっすらと笑顔を浮かべる国民などなどとらえようのない性質が日本人の特性なのです。教育はこの特性すらも崩壊させようとしてきました。個性のないものはダメだという個性主義です。しかし、個性とは表面的なものでしょうか?内に秘めたものであってはダメでしょうか?難に対しても自分の持論を展開できる人だけが優秀なのでしょうか?西洋の文化はすべて成文化されたものです。ところが日本の文化は不文律が基本です。神道には経典がありませんし、徒弟制度などからも、口伝によって支えられてきた文化だといえます。親から子へ、師匠から徒弟へ、日本人の心は継承されてきました。それはDNAレベルではないかと思います。占領連合国の最も恐れたものは日本人の精神性だといいます。天皇を中心にした民族の団結力は法律にってがんじがらめになった物とは全く異なるものです。そしてそれを崩壊させることが目的であったのです。西洋化、欧米化は強く進められましたが、日本人の精神性は失われることはありませんでした。先の東日本大震災で、日本人としての自覚を強く持ったかたが少なくないと思います。私たちが自らの血に抱くイメージは教育によって大きく変わります。今の若い世代の親御さんにお願いするのは、人生において損をしない生き方を教えるのではなく、お陰様、感謝する心、自分を差し置いても人のために・・・という心を教えてほしいと思うのです。私たち日本人の心は必ず、世界を救います。(U)