妻です。

本人が記事を書ける状態ではないため代わってご報告致します。少し長くなりますあせる







3月18日の記事で胃静脈瘤の破裂があったことをご報告していますが、発見後に一度クリッピングで止血処置をしました。




しかし2日後に大量のタール便…




夜間だったこともありバルーンでの圧迫止血し、翌日カメラで状態を確認するとのこと。


その頃本人から電話があり、不安でたまらない、声が聞きたかったと。





バルーン挿入中の一部始終を通話中のまま、音声で聞いていました。本人はパニックで大声で叫んだりしていました。




後に主治医からの説明で、胃に大量の血が流れ出たことで結果的にアンモニア値が上がり肝性脳症の症状が出ていたことを聞きました。




そうでなくても不安ですよね…





翌日カメラで止血確認してバルーン抜去し一安心ニコニコ



































と思っていたら3月22日に主治医から連絡があり、ここ数日ずっと胃の出血を繰り返しており、せん妄状態が続いているとのこと。一度病状説明をしたいから今日病院に来れないかと。



緊急の呼び出しに不安がよぎる…








先生の説明によるとここ数日胃の出血を繰り返してはいたが、じわじわと出ているだけで緊急性はないと判断していた。しかし今日胃カメラで出血部位を特定しようとしていたところ、カメラを入れている数分のうちに血が溢れるように出てきて出血部位の確認どころではなくなったと。




状態が悪く、緊急時に対応出来る様にとICUへ移動、明日緊急手術となった。



まずは内視鏡で出血部位を確認して硬化剤で止血する方法、それがダメなら血管内からカテーテルで硬化剤を流し込み止血する方法で行うとのこと。





コロナ禍の影響で面会は出来ませんが、ICUに移動する時に私たちの前を通過することで顔を見せてくれました。鎮静をかけられており意識はありませんでしたが本人の両親とともに声をかけて見送りました。










翌日、処置中は本人の両親とともに病院で待機しており、終わったと連絡があったのは予定より2時間後でした。かなり遅かったので不安を感じながら先生からの説明を聞きました。




結果、出血部位が見つからなかったと。

ただ、ヘモグロビンの数値も上がっているためそれほど出血してなさそうとのこと。


翌日もう一度確認して、念のためあやしい所はクリップでとめてきたとのこと。








3月28日に無事一般病棟へおねがい

翌日から食事とリハビリ再開するとのこと。


一般病棟へ移ったら本人と直接連絡がとれると思い、私も両親も待っていましたが翌日になってもなかなか連絡が来ない…


夕方病院から連絡があり、すぐに先生の話を聞きに行くと胆のうから出血していると。


説明内容は割愛しますが、現状かなり危険な状態で開腹手術となるとかなりのリスクがある、しかし内視鏡やカテーテルでは限界があり結果によっては余命宣告になるかもしれないと説明を受けました。




3月30日もう一度先生からの説明。

外科の先生と相談したがやはりメリットよりもリスクの方が大きく開腹手術は難しいと。出来ないかなと内心思ってはいましたが唯一の希望を絶たれました。




胆嚢からの出血、胆汁の漏出による腹膜炎のリスクを少しでも下げる、遅らせるための処置として鼻から管を入れて陰圧にすることで腹腔内に溜まるのを抑えるようにするとのこと。これも延命措置に過ぎず、胆嚢からの出血が治るわけではありません。






しばらくして先生の計らいでICU内の本人とiPadで話が出来ることにおねがい



私は泣かないことに必死であんまり話せませんでした…


本人は一般病棟に移ったら持ってきて欲しいものを必死に伝えてきて、それ今言わんでいいやん!他に話すことあるやん!と思いましたが、おそらく本人も先生から説明を聞いており混乱していたり、不安な気持ちがあったりしていたのだと思います。


ただ「俺は俺に今出来ることをやるから待っとって」と最後まで前向きに生きることを諦めていませんでした。






その後、鎮静かけるために再び挿管。今後病院側としては何も出来ることがなく、家族と過ごす時間を大切にしてほしいと。


「造影剤の影響で腎機能低下していたため一時的に透析していましたが、透析をやめて輸血もやめて一般病棟へ行きます。一般病棟では個室で、少人数でなどの感染対策的な条件はありますが面会、ずっと一緒にいられるようにします。」と言ってくださいました。



その日最後に意識がある状態(挿管はされており、本人が話すことは出来ない)で特別にICUで面会させてもらえました。1人ずつ短時間でしたが、いつなにが起こってもおかしくない状況だったので、とにかく伝えたいことを全て伝えました。



あなたと結婚できて幸せだった、ありがとうと伝えました。夫はいつも結婚してすぐに病気になったから私が不幸になったんじゃないかと心配していました。そう言われる度に「そんなことない、幸せだよ」と言ってはいましたが、そんな心配したままでいてほしくなくて、改めて自分の気持ちを伝えました。また、夫の誕生日が近かったため、プレゼントの材料を買って用意していたので明日持ってくるから待っててと伝えました。いつ何があるかわからないけど、明日まで待っててと…。





帰ったらもう夜21時か22時くらいで、それから写真をコルクボードに切り貼りしてコラージュっぽい作品を作りました。









翌日、本人も家族もコロナ感染していなかったこと、世間的にも少し少なくなっていたこともあり、家族待機室などで病院に泊まれる環境を整えてくださったり、本当にずっと一緒にいさせてもらえました。



挿管、鎮静かけられており目はほとんど開かず反応も弱い。




夜、本人の弟からのメッセージ読んであげると突然大きく開眼!!

もちろん話はできませんが、とても反応がよくなり大きく頷いたり首を振ったり手を握ったり…


翌日もとても反応良く、声をかける度に目を開けて反応してくれました。











なんだかんだで4月4日。

状態は良いとは言えませんが、血圧、血中酸素がやや上がり、おしっこが出るようになり、少し自発呼吸も!!


少し安心出来るかなと思い、今のうちと思い、私も義母もずっと病院に泊まりっぱなしで十分に休めていなかったので一度家に帰ることに。その日はそれぞれ家に泊まり、翌日病院へ。





4月5日

午後から血圧が下がってきて、夕方にかけて心電図の波形も乱れはじめてきた。































夜19時半頃、永眠しました。



前日、体調が良くなったように見えたのは、私と義母を休ませるためだったのかもしれません。


最後は本人の両親と私が見守る中で亡くなりました。とても安らかな顔でした。







この記事を読んで、もしかしたら同じように肝硬変という病気と闘っている方に不安を与えることがあるかもしれず、申し訳ありません。しかし、夫は闘病中も「俺は一日一日を大切にしたい。誰だっていつ何が起こるか分からんのやから、毎日悔いのないように生きる。」とよく話していました。病気をしていない私もいつ事故や災害に巻き込まれるか分からないし、病気をしていないからあと何十年生きられるとも限らないのです。



だから病気をしていても、していなくても毎日悔いのないように、一日一日を大切に生きてもらえればと思います。





このブログを通して応援して下さった方、見守って下さった方、ご報告が遅れてしまい申し訳ありませんでした。長い間本当にありがとうございました。



なお、このブログは8月中旬〜下旬頃にはアカウントごと削除する予定です。


7/25

削除する予定でしたが、是非ブログを残して欲しいとのご意見を複数頂いたため、このまま残すことと致しました。今後は更新することはありませんが、これからもたくさんの方にブログを読んで頂き、肝硬変という病気のことや夫の人生を知っていただけたらと思います。