先日の衆議院本会議にて、
松岡前農水大臣の追悼演説が行われた。

静まる議場から左上段を見上げると、
そこには中年の女性と若い男性が二人、黒い喪服を召して立っておられた。

慣例上、遺族の方が入場される場所であるから、
その方々は間違いなく前大臣の奥様とご子息だろう。

前大臣は享年62歳。
そこから推測すれば、おそらく、ご子息と私は同年代と思われる。

様々な疑惑の渦中にあった松岡前大臣の責任は、重い。
連日に渡る取材と、国会での追及を受けたことは止むをえないだろうし、
国会議員の職責として、そして、大臣という重責を担うものとして、
説明責任を果たさず死を選んだ松岡議員には、
納得は出来ない。

しかし、
議場に立っておられたご子息を見て、なんとも複雑な想いがこみ上げた。

政治家の親を持つ息子同士としての微かなシンパシー。

あのご子息は、連日父親が報道で叩かれているのを見て、なにを想っていたのか。
連日の報道から伝わる情報。
信じたい部分と信じたくない部分の交錯。
そして、
父親が自ら死を選んだことへの悔しさ。
事実であろうが虚偽であろうが、肉親が非難されるのは見ていて辛いものだ。
例え、当然の職責にあるとしても、辛いものだ。

演説の間、
壇上の弁者を見ることなく、
微動だにせず立ち尽くすご子息を見ていた。

本当に、本当に悔しいだろうな。
勝手にそう思いながら立ち尽くすご子息二人を見つめていた。
お名前も存じ上げないが、頑張って生きて欲しいと思う。

松岡前大臣のご冥福を心よりお祈り申し上げます。