あきは、病気をしてから

私や牧さんのサポートに対して

いつも感謝をしてくれていた。

 

言葉で、そして贈り物で。

介護が加わってからは尚更。

 

あきへのサポートといっても

私たちは大層なことはしていない。

 

話を聞くことと

保証人になった事くらい。


入院の際の保証人は私が、

マンションの賃貸契約の際の

保証人は牧さんが引き受けていた。

 

 

あとは送迎したことが

何回かあるくらいだ。

 

あきは、親戚関係も疎遠だったので

私たちが役に立てるのなら

この程度の保証人になることも

全然構わなかった。

 
あきは、お金に関して
きっちりしていて信用していたので
保証人になることに
全く心配がなかった。

 

月に1回程度、手土産を持って

私たちの仕事場に来て

何時間話も話し続けるあき

 

まあ、コロナショックで私たちが

暇だったので付き合えたのだが(泣)

 

 

話すことで楽になるならと

思って聞いていたが中々長い。

 

あきの話は病気のこと、

貴子さんの介護のことが半分

 

あとの半分は

会社で一緒に働いている人の愚痴。

大概は悪口。上から目線での批判。

気持ちのいいものではない。

知らない人のことだから

答えようもない。

 

長い付き合いならではの

昔話も時々した。

 

2〜3時間話してあきが帰ったあと

まあ、あれだけ怒れるってことは

だいぶん元気になったってことだよね

牧さんと毎回苦笑い。

 

お土産やプレゼントを

貰ってばかりという訳にもいかないので

あき貴子さんの誕生日には

私たちなりに頑張ってプレゼントを選んだ。

 

安物やダサいものはあげられない

という謎のプレッシャーがあったが…。

 

貴子さんがすでに外食は難しかったので

高級焼肉店のお肉をオーダーしたり

フグを取り寄せたり

アイデアもお金も中々厳しかった。

 

贈り物に関してはだんだん

義務感が大きくなってきていた。

サポート自体も、

あんなに色々なものをもらったし…と言う

義務感がなかったかと言われたら

なかったとは言い切れないかもしれない。

 

あきの支えになりたいという

純粋な気持ちがちょっとづつ変化していた。