あきのうちは再婚家庭だった。

 

あきの一人暮らしの部屋に行くと

時々あきのお母さん貴子さんがいて、

貴子さんからも色んな話を聞いた。

 

あきの母貴子さんは、

同級生だったあきの父親と大恋愛の末

結婚して、あきが生まれた。

 

しかし、あきがやっと歩き出した頃

父親に女が出来て離婚。

 

貴子さん曰く、相手の女は

「飲み屋の女」だったそう。

それに我慢がならなかった貴子さん

あきを連れて家を出た。

 

女性が一人で子供を育てるのは困難な時代。

ましてや、それなりの生活をしようとすると尚更。

 

その後、貴子さんは生活のために、

大分年上のの男性と再婚した。

 

実父も「飲み屋の女」と再婚したのだが、

その「飲み屋の女」には、

あきと年の近い娘がいた。

あきの実父はあきではなく

再婚相手の連れ子を自分の子として

養育することになった。

 

 あきの実父のことは色々聞いたが

継父の話を聞くことはなかった。

 

笑いながら「大変だったのよー」と

話す明るいお母さん。

50過ぎてもモチ肌で上品な貴子さん

若い頃はさぞかし綺麗だったことだろう。

 

あきはいつも私は父親似だからと

自虐的に笑っていたが、

確かに貴子さんにはあまり似てなかった。

 

見た目はあまり似ていないが、

ブランド嗜好は貴子さん仕込みだった(笑)

インテリアから、ファッション、

礼儀作法、所作まであきという人間には

しっかり貴子さんの意向が反映されていた。

 

私が二度見した、ハマトラファッションも

季節ごとに買い与えられる

貴子さんセレクトのものだった。

 

「一卵性親子」とでもいうのだろうか。

 

「うちの貴子は過保護」があきの口癖だったが

自分のことを犠牲にして

子供に尽くすタイプの母親には見えなかった。

貴子さんは割と自由人だったように思う。

 

充分愛情をかけて育てられたとは思うけど

あきは常にお母さんを意識して

愛情を欲していたようにも見えた。

 

まあ、わかりませんけど。