てらこや 放生庵

てらこや 放生庵

現役教師、探究者。自然界を旅しながら、何を見ても何かを思い出し、この世界と向こう側の世界に想いを馳せながら紡ぐことたまを発信。自分の事しか書いてはいませんが、それがあなたの人生の謎解きのヒントになれたら嬉しいです。

 












 同僚たちと五島列島へ。

 島好きな私としては、五島はずっと行きたかった場所。

 昨年同僚が五島に行くと聞いて、ジェラス!!!

「わたしが今いちばんいきたいとこっ!!」と言っていた。

 

 それが、1年後、職場で様々なことを経て、その同僚(たち)と実際に行くことになった。

 控えめに言ってもすること満載の日々。

 教員の仕事は毎日激務だ。

 世間というものは実際に経験していないのに、簡単にジャッジする傾向にあるような気がするけれど、、、

 教員というものは、純粋でまじめな人がほとんど。

 無償の愛を生徒たちに振りかけている。損得勘定なしで。

 give, give, give, ずっと与え続ける。無垢な気持ちで。

 だから、教員は時に傷つく。

 こんなにも尽くしているのに、と。

 それが仕事だからいいんだけれどもね。

 愛しかないから。

 

 その日々の無償の愛の行動が積まれていくと、必ず生徒や保護者からの返りがある。

 見返りとは違う種類のもの。

 それに報われるから、やめられないのだ。(少なくても私は)

 そこまでたどり着けずに辞める先生方もたくさん見てきたけれども。

 

 それはさておき。

 そんな仕事からは少し離れて、旅に出た。

 

 念願叶っての五島列島。

 青い海。海から昇る朝日。海に沈む夕日。水色の空に白いもくもく雲。夜の海からの風。瞬く星。人の温かさ。自然の美しさ。

 大好き過ぎる沖縄よりもはるかにはるかに好きかもしれない。

 何より自然界のスピリットたちがいきいきしている。(そういう場所は日本国でめっきり減ってしまった)

 どこから見てもどこの海も全てコバルトブルー。とにかく海が山が美しい。人も優しい。

 空はどこまでも抜けるような青さで、雲は、白く美しい。

 五島の空と雲を描くジブリの山本二三さんの絵が心底腹に迫ってくる。

 

 そして、キリシタンたちの祈りがそこかしこに息づいているのも、私を惹きつける。

 五島の全てが好きになってしまった。

 もお~、五島ラブ。

 

 

 五島では、五島うどんをあご出汁で頂き、新鮮なお刺身を頂き、朝日と夕日を眺め、おいしいイタリアンをグラスを傾けながら仲間と頂き、それなりに酔っ払い、五島のスピリットとも交流できた。

 

 滞在中は島から沢山の栄養を頂いて、一日早く同僚と別れて島を離れ、一人船に乗る。

 

 次の日は祖母の命日。

 夜までには家に帰って感謝の念を送りたかった。

 

 そしてその日は、師に会うことになっていた。

 

「命日に重なるなんて」と師は言った。

 

ブレッシングをリクエストしたら、

「もう既におばあちゃんに捧げていたよ」と言われたが、

 

「目を閉じて」と言われ、ブレッシングを頂けた。

 

 その日は特別な日になった。

 

 その後は親友かなちゃんのお店でご飯を。

 

 実はかなちゃんもその当時祖母に関わっていた。

 

「今日はおばあちゃんの命日だよ」とかなちゃんに知らせる。

 

かなちゃんが入れてくれたスパークリンググラスを少し高く上げて、「おばあちゃん、カンパーイ」と言って一人乾杯。

 

 かなちゃんはその大学時代の事をすっかり忘れていた。だって、もうずいぶん時間が経ったもんなあ。

 

 大学生の頃、私はどうしてもアメリカに行きたいという希望があった。

 お金を出してくれたのは祖母。

 祖母はその当時入院していた。

 まるで家のように家族みんなで入院していた祖母の元に集まり、母は祖母のベットの横の床に簡易布団を置いてそこで寝泊まりして祖母の側から離れなかった。当時の担当看護婦さんとお医者さんがアルバイト先のホテルのバーラウンジに来た時、祖母の入院中のお礼を言うと、「家族が印象的だった、よく覚えています」と言われた。

 

 私はアメリカに行く前に祖母が亡くなってしまうのではないかという不安があった。

 万が一何かあった時、田舎者の私の家族がアメリカの大学の寮まで電話をかけて英語で会話できるとは到底思えなかったため、かなちゃんに頼んで、病院に生存確認をしてほしいとお願いした。

 

 

 大学の寮で早朝、電話がけたたましく鳴った時、ああ、祖母がこの世からいなくなってしまったのだな、とすぐに分かった。

電話の主はかなちゃんで、祖母が既に亡くなってしまったことを教えてくれた。

 

その日はフィールドワークの日で、シカゴの街を散策する日だった。

 

祖母は生前言っていた。

危険だからと言ってあれほど反対していたのに、

「わたしも若かったら、アメリカに行きたいと思ったはず」と。

 

その日は祖母も一緒に私とシカゴの美しい街を一緒に旅したはずだ。

 

 帰国後、既に葬式は終わってはいたが、母が私が帰るまで納骨はしないと言い張り、私の帰国日に合わせて納骨を行ってくれた。

 

 そういう母も素晴らしいなあと思う。

 

 そんなこんなで、私は自分の祖母がいつ亡くなったのか、しばらく記憶が曖昧だった。

 

 実家に嫁いでくれたお嫁ちゃんが母の面倒を含め、祖父や祖母の命日やお彼岸などにお寺に行ってくれたり、実家やご先祖様に尽くしてくれて、私にいろいろ教えてくれるので非常に助かっている。

 

 祖母の命日前日まで五島にいて自然を満喫して、

 

 祖母の命日当日には私の大事な人たちである、師とかなちゃんに会えたというのがまた祖母やご先祖様の導きなのかな、とふとお盆の日に思う。

 

 祖母が生きていたならば、今のこのような私をどう思うだろうか?

 

 少しでも、自慢に思ってくれたなら。