今日は3件目です。
何だかよくわからないのですが、上から書け書けと言われているようで、結構今日は忙しかったのに頑張って書きます。
昨晩、寝るときにやっぱり例の宇宙存在がやってきたからかなあ~?
今回はグロテスクな感じを抑えて、小振りになっていたので、あの気持ちの悪い細胞分裂し続けている足(触手)は、線のようで気持ちの悪さは半減していました。
気持ちが悪いって言ってみるものだなあ。
ところで、先日のお茶会の時に、私の孤独感、寂しさは、根源の存在から離れた時の気持ちだとおっしゃったサイキックの先生は、そのことを私に気づかせるためにいろいろ誘導してくださいました。
親から捨てられる過去生、愛されない過去生、縁のない過去生、私の数々の生涯はこのパターンだったんです。
現在は、過干渉の親でこれには当てはまらないと反論したのですが、実は自分でもわかっていたんです。
過干渉の親ではあるけれど、私を所有物として扱い、ペットとして扱い気に入らなければひどい罰を与える。
それは本当の愛ではないということを。
親は、実際に親から捨てられ、私のパターン通りです。
私のエゴは、いろいろな言い訳をつくり、愛されていたんだと自分に言い聞かせていたんです。
そうしないと自分がみじめで悲しいからです。
このことに目が覚めて、私は、愛されていなかったと受け取ったとき、号泣してしまいました。
真実を見たくない、認めたくないという抵抗が無意識の奥深いエゴを作り出していました。
これが、ある限り、高次の存在とは繋がらないですものね。
そのことを認めて初めて、親と私の関係のパターンが見えました。
言い換えれば、根源の存在と私との関係です。
根源の存在に見捨てられたと思っていたと気づいたとき、奥深くから言いようのない悲しみが押し寄せ号泣していました。
私が、言いたいのは、捨てられた、愛されていない、などの事実を受け取る勇気が自分のエネルギーをスムーズに流せるポイントだということです。
そんなのみじめすぎるとか、恰好が悪いとか認めたくないものを抵抗してごまかしてしまうと、本質を逃してしまいます。
この3次元でみるものは自分を知るために自分で創造しているんです。
周りの人は私の頼んだ配役でしかありません。
その配役にこうしてほしいとお願いして、自分を知ろうとしているのに、それを受け取り間違いをしてしまったら、また次にお題を伸ばしてしまいます。
まあ、次があるからいいですけれど。
結構、気づかないところで、受け取れなくてごまかしているエゴが多くあるものです。