みなさんおはようございます~
ついに台風が近づいてきました、十分に警戒してくださいね
少し出かけることにします~ \(◎o◎)/!
 
ここは徳島市二軒屋町にある忌部神社(いんべじんじゃ)とも(いむべじんじゃ)
とも言われているみたいです
表側からは普通の神社の雰囲気です
 
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実は金比羅さんが中腹にあります、裏側から登るとこんな感じです…
見るだけで登るのに躊躇しそうな階段が続きます…
 
 
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丘の上にあるのでしょうね、誰もここまで上がってきていないです
 
 
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祭神は…由緒書きがあります…読めませんね~
 
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太古天日鷲命は、穀木(かじ)麻を植え製紙製麻紡織の諸業を創始され特に天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時、白和幣(しろにぎて)をつくり神々と共に祈祷(いの)られ天の岩戸開きに大きな功績を挙げられた。
 その子孫は忌部と称し国家祭祀の礼典を掌り、神武天皇の御代阿波国に下りこの郷土を開拓し代々朝廷に荒妙御衣(あらたえみそ)(穀木、麻で織る)を貢上し、それは大嘗祭(天皇即位の大礼)の用に供された。
 麻植郡の名も麻を植える事から起きたものである。
 このように天日鷲命を奉祭する忌部神社は忌部族すなわち徳島県民の祖神を祭り古来阿波の国総鎮守の神社として朝野尊崇篤く延喜の制には官幣大社に列せられ、且つ名神祭の班幣に預かり(名神大社)西国随一の格式の大社として、四国一宮とも称せられた。
 
拝殿はコンクリート製でしょうか?新しく見えます
 
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文治元年源義経八島(原文ママ)合戦のみぎり太刀一振を奉納、那須与一は弓矢を奉納、更に文治三年源頼朝御供料として田畑一千町歩を寄進したしたことが伝えられている。
 当社は中世以降兵火にかかり久しくその社地が不明であったが明治四年国幣中社に列せられ、明治七年その所在地を麻植郡山崎村とされたが、同十四年美馬郡西端山村に遷祀、さらに明治十八年徳島市の金刀比羅神社へ仮御遷座、同二十年現在地に新社殿成り奉遷鎮祭し奉った。
 
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扁額にはガラスのパネルが入ってます
 
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そしてここの本殿にもニュータイプの千木…(*^_^*)
徳島市の特徴でしょうか?
 
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ここにも砲弾があります
 
 
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そしてこの神社唯一の狛犬さん…
 
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なんだか見たことのあるような無いような…大阪の住吉形狛犬さんに
似ている気がします
 
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石工は大阪の石工さん見たいです、誕生は安永4年(1775年)の誕生です
 
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少し形は違いますが、大阪の狛犬さんの一部が残っているのがうれしいです
海渡ってすぐですからね? 
 
皆さん台風にご注意くださいね~