てらいち 、です

てらいち 、です

日常のこと,稽古での気づき,自然の移り変わり・・・

生きてますよ、私は🤣

しばらく更新が止まってました…😅

 

 

さて、居合も剣道も今年の稽古はそろそろと終了となりますが。

 

居合の方は、審査を受ける先生がいらっしゃるので、もう1年ほど制定居合が中心です。

古流はほとんどやってません(忘れそう😰)

 

2~3人が演武し、1人が計時と演武チェックをする、それを順番に行う回り稽古。

 

一人で稽古しているよりも見ていただいてチェックしていただけるのはありがたいこと。

さらには、その時に体の動きや刀の働きをどうすべきか考え合うことができます。

 

言語化すると、自分の思い込みだったり、考え違いに陥っていたりすることに気づかされます。

 

その中で…

 

手で、手のひら、指で柄をギュッと握り締めることで満足感を得ていたのだと。

それが力み。

体の一部、末端だけに意識がいっていて、たとえ速く振れて音も出ていても、刀は上手く働いていない。

 

その稽古の中で、ある先生から「ヒジ」について問題提起があって。

 

振り上げたとき、大きく振り上げてもそこからヒジが曲がって振っている、と。

 

あ、そうか。

それ、自分の演武をビデオ撮りしているときも気づいたことだ、と。

 

手のひらの満足感、手応えを得るために、手に力が入りヒジが曲がる。

 

 

これを最近の稽古で改善するようにして。

 

手で振るのではない、手は握り締めなくても良い。

ヒジで振る、ヒジを伸ばして振る。

 

これが近頃上手くいく感触がつかめてきて。

 

なるほどね。

 

振りかぶるとき、振り始めるときに、手の、指の力をゆるめてヒジを伸ばすようにする。

さらに、切っ先がどこに行っているかに敏感になろうとする。

 

これ、なかなかよろしい。

 

 

もしや…

 

今まで謎の言葉であった「大強速軽」。

 

この「軽」ですよ、謎は。

今までいろんな方、先生方のお話を伺っていても、この「軽」の話が腑に落ちなかった…

 

あるときの稽古で、「あ、今日は刀を『箸』を持つくらいの感覚で振ってみよう」と。

 

現状、私の解釈では「刀を軽い箸のように扱え」と。

 

そのお陰で、振りかぶったときの切っ先の高さ(古流だと柄より低くて良い、制定だと刀は水平か切っ先が柄より高い)の感覚がつかめてきて。

制定の「受け流しに振りかぶる」という動作も感覚がつかめてきて。

 

さらには、柄を右手と左手で「てこ」の原理を使った振り方をすると切っ先が走ることに気づいて。

 

あぁ、手を握り締めて刀を振って手応えを得るんじゃなく、手は軽いものを扱うようにしていてヒジを伸ばした腕と刀が一体になるように動けば良いのだ、と。

 

そんな感覚を得ることができて。

 

この辺が今年の収穫だと考えています。

 

 

すると、これが剣道の方にも生かせれば良いのですが。

 

手の内の「軽やかさ」はなんとなく、これでいいのかな、と。

 

ただ、ヒジを不用意に曲げること、これがまだ直らない。

 

打つ、受ける、返す、これらの時に手は「軽やかに」、ヒジは伸ばし気味にする。

これは「間を遠くする」ことにつながるだろう、という感覚はおぼろげに見えてきています。

 

これは悪くない。

もうちょっと感覚を鋭くしていきたい、と。

 

 

※ヒジを伸ばすのは、あくまでも伸ばすのであって、突っ張るような固めてしまうことではないです。

そうなると、結局のところ手の力みがヒジの力みになるだけのこと。

 

 

切っ先の回転力、その回転の中心が手ではなく、ヒジを伸ばすことで方が中心点になるということ。

…であろうと考えています。

 

さらには切っ先、刀の運動の中心が鎖骨、胸骨となっていけば体幹を使った振りというものなるのかもしれません。