「さ、薬草取りに行くよ。はる、用意して。
翔さんは乾燥させたオオバコとシャクヤクをまとめておいてください。」
背に籠を背負った雅紀が草履を履く。
「そんなに急がなくても大丈夫ですよ。」
櫻井が笑い、はるの背に籠を背負わせる。
「少しでも多くの薬草を摘んでおかないと。
少しでも多くの人の助けになるために。」
雅紀の真摯な表情に、櫻井の顔がほころぶ。
「そうですねぇ。できることをできるだけ。
大事なことです。」
櫻井の手がはると雅紀の頭を撫でる。
「さ、気を付けていってらっしゃい。」
「はい!」
見上げたはるが、元気よく返事する。
「翔さんも、ちゃんと狐殿を見張っててくださいね。
すぐ休むんだから。」
「わしはお前らと違って繊細にできてるんだ。
ずっと同じ姿勢ではかなわん。」
肩をコキコキ鳴らし、腕を回す智に、櫻井が笑う。
「狐殿の描いたアマビエ様を見たら、疫病も吹っ飛びますな。」
海から帰ってきた櫻井は、すぐに絵を描いた。
が、どうもうまくいかない。
雅紀に見せると、
「これは傘ですか?それとも一つ目小僧?」
と言われ、はるからは、
「お天狗様?鳥さん?」
と言われ、がっくり肩を落とした。
そんな櫻井を見て、智が口を出す。
「もっと口は尖ってたし、足は3本だったぞ。
ええい、貸せ!」
そう言って、智が描いた絵はアマビエを写したようで、
櫻井は、絵を近づけたり離したりしながら、感心したように何度もうなずく。
「すごいですねぇ、狐殿はなんでもおできになる!
よもや絵まで描けるとは。さすが狐殿です!」
気を良くした智がさらに絵を描く。
「すばらしい!この髪の流れなど、まさに生きているようではありませんか!」
「この鱗!水に濡れて光っているところなど、触ったら冷たそうです!」
「ああ、光輝くあのお姿が目の前に広がりましょう!」
櫻井の言葉が智の筆を滑らせる。
「ほれ、これでどうだ?
ん?こっちのがいいか。
いや待て、もう少し細身だったぞ。」
筆遣いも鮮やかに智が描き上げた絵は、あの夜のアマビエそのもので、
驚く櫻井に、智が満足そうに目を細める。
そんなこんなで、智はかれこれ丸一日絵を描き続けている。
「狐殿のことは私に任せて、二人は陽の高い内に帰ってくるのですよ。
闇はいけないものまで連れて来ますからね。」
「「はい!」」
二人同時に返事をし、手を繋いで家を出て行く。
仲良さそうな二人の背を見送って、櫻井が振り返ると、足を投げ出した智が、フフッと笑う。
「狐殿も一服なさいますか。」
櫻井が、湯を沸かそうと土間に下り立つ。
「朝飯を食ったばっかりだがな。」
「描き続けで疲れたでしょう。」
櫻井が鍋に水を汲む。
「潤に嫁を見繕ったのか。」
突然の言葉に櫻井が振り返る。
智は帝を潤と呼ぶ。
初めて会った時、母となった名残りだろうか。
「誰に聞いたんですか?」
「風が教えてくれたのだ。わしに知らぬことなどない。」
櫻井がふふっと笑う。
智が心配しているのは帝と雅紀のことだ。
雅紀の星は帝に向いている。
帝の星も……。
「雅紀さんと帝は……もう相手の気持ちに気付いているはずです。
ですから……機を待って、和也殿に進言いたしました。」
「いらぬ波風が立つんじゃないのか?」
足を投げ出し、何気ない風を装いながら、心配しているのがよくわかる。
竈(かまど)を吹きながら、櫻井の笑みが絶えない。
「大丈夫でしょう。お世継ぎは帝の大事なおつとめ。
避けることはできません。
新しい更衣を得れば、帝や雅紀さんにも変化が起こりそうですよ?」
「鬼っ子は何でも考えすぎるからな。」
「そこが雅紀さんの可愛いところです。……ふぅっ!っんほ、ごほっ!」
櫻井が勢いよく竈を吹くと、灰が舞い上がり、喉を襲う。
「お前は竈も炊けないのか。」
立ち上がった智が、むせる櫻井に近づいて行く。
「誰しも苦手なものくらいありましょう。
私にだって……。」
「お前は意外と苦手なものが多いぞ?
飛ぶのもだめ、絵もだめ、竈もだめ……。」
情けない顔で見上げる櫻井に、智がクスッと笑う。
土間に下り立ち、腰から手拭いを取り上げ、櫻井の顔についた灰を拭う。
「綺麗な顔が台無しだ。」
「狐殿……。」
大人しく拭われたが、ゴシゴシ擦る力の強さによろめく。
「危ないっ。」
思わず竈に手を付きそうになる櫻井を、智の腕が抱きかかえる。
「お前はしっかりしてるんだかしてないんだかわからんな。」
抱きかかえられ、恥ずかしそうな櫻井に、智の顔が近づく。
「拭いてもとれん。」
智が大きく舌を出し、櫻井の頬をベロっと舐める。
「狐殿!」
智が楽しそうに笑い、さらに舌を出す。
「……苦いでしょう?顔を洗ってきます。」
智の腕を振りきろうとする櫻井を、無理やり抱きすくめる。
「お前の灰なら甘かろう?」
また頬を舐めようとする智に、櫻井がクスッと笑う。
「どうせ舐めるなら……顔を洗ってからにしてください。
でないと……口吸いがまずくなります。」
二人が顔を見合わせて笑っていると、人型の紙がヒラヒラと舞い込んでくる。
その紙が櫻井の肩の上で、ちょこんと止まる。
「どうした?何かあったか?」
「和也殿に式を飛ばしたのです。……和也殿も了解してくれたようですね。」
「了解?」
「ええ……疫病に備えて備蓄と……薬草を栽培したいと申し出ました。」
「栽培……?」
櫻井は肩に乗った式を指ではじく。
ピッと弾けた紙が消える。
「裏山で薬草を採るには限界があります。
ですので、珍しい薬草を育ててみようかと思いまして。
すでに効能のはっきりしている数種ですが……。」
「疫病に効くのか?」
「わかりません。でも、症状を押さえることはできるかもしれません。
まだ時間はありますから、やれるだけのことはやってみようと思っています。」
櫻井が、灰のついた顔で笑う。
智もニヤッと笑う。
「人は強いな。妖も見習わなくてはならん。」
「人は妖に比べれば弱いですから。
弱いなりに強くならないとなりません。」
ぐつぐつ煮たった鍋が二人の会話を止める。
「そうだな。だが……まずは顔を洗え。
口も吸えん。」
「そうでした。」
笑う櫻井が、水がめから水を掬う。
顔にバシャバシャと水を掛け、空を見上げる。
軒から見える空はどこまでも続く。
遠く西の空に輝いているであろう星まで。
青空に、キラリと何かが光った様な気がして、空の真ん中で目を止める。
どうか、疫病が広がりませんように。
すぐにおさまりますように。
祈るように空を見やって、振り向くと智が笑って茶を淹れている。
雅紀たちが帰るまでに納戸を整理しておこう。
棚も作ろうか。
でもまずは……。
また空がキラリと光る。
星が示す未来はどこへ向かっているのか。
どこへ向かおうとも、人が向かうのは……。
櫻井の足が智に向かう。
智は笑って櫻井を待つ。
愛しい人の愛しい腕の中へ。