先ずはつまらないINDEXの羅列をさせていただくとする。
詩経、尚書、周礼、儀礼、礼記、周易、左伝、公羊伝、穀梁伝、論語、爾雅、孝経、孟子、
まとめて十三経と呼ぶ
うち、詩経は古代の詩集、
尚書、左伝、公羊伝、穀梁伝、は歴史関連、春秋の解釈書
周礼、儀礼、礼記は音楽、政治、学問などの儀礼の根っこの精神を説いたもの。礼記からは大学と中庸が宋時代に切り出されて独立した書として扱われた。
爾雅は類語や語釈の最古の辞典、
周易は当時の占いについてのまとめ、
論語、孝経、孟子は思想哲学らしきもの、
今のChinaの発祥地帯での書籍である。
そして二十四史、清史を除くこの地域の歴史で、滅んだ王朝の歴史を、引き継いだ(あるいは簒奪した)次の王朝が書いたもので、現王朝の正当性を主張する意図で書かれた史書群である。
因みに清史は中華民国時代まとめられ、その後中華人民共和国が最近新しく清史を編集している。これは権力争いの一環、対立する自己正当性の鬩ぎ合いの一環
中国礼賛者は、これらを雑破に中国古典文学と呼んでいるようである。
志怪文学の走りのような記事は春秋の伝の中にも残っているのにあからさまにそれらを軽視して、二十四史十三経にこだわっているのは、多分宋儒の考え方を踏襲しているのであろう。
彼らにとっての歴史に学べの意味、なんとなく前時代的で恣意的な主張のように思える。
歴史は正しく修正され続けてはじめて実証的なものになっていく。
特定の価値観は歴史を単なる創作物にしていく。史観を捨てる事も必要だと思う。足りない情報を探し出しては日々新しくしていく、そんな考え方が中国古典なるものの中に存在している事を学んだいるはずだと思う。